鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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の継承と新様の選択が指摘されるが、鎌倉時代中期以降になると作風や形式にも混乱がみられるようになるという(注3)。二、大仏殿様四天王像邪鬼のかたち「大仏殿図」によれば四天王像足元には各一頭の邪鬼を配すと注記されており、それを大仏殿様像はおおむね継受している。『七大寺巡礼私記』(保延6年〔1140〕)には焼失前の大仏殿内の四天王像について邪鬼の法量が記されるほか、朝護孫子寺蔵『信貴山縁起』尼公巻に描かれた創建期像多聞天の足元にも邪鬼の一部が認められる(注4)。このことから当初より各像の足元には邪鬼が存在したと考えられている。そこで以下では大仏殿様邪鬼の表現を検討しながら、失われた鎌倉再建期像の邪鬼のかたちを考察したい。(一)大仏殿様四天王像邪鬼の基準作例・重要作例邪鬼を伴う大仏殿様像の基準作例は京都・海住山寺像(建保2年〔1214〕頃)〔図1〕、奈良・薬師寺東院堂像(正応2年〔1289〕頃)、奈良・法隆寺上堂像(文和4年〔1355〕頃)である。基準作例のうち雛型とも目される金剛峯寺像は邪鬼を踏む姿を示すが、邪鬼は後補と判断される。また現状、新薬師寺像、岩船寺像、霊山寺三重塔像の足元に邪鬼はない。なお海住山寺像多聞天分は増長天の面部と多聞天のすべてが後補だが、ほかは当初のものを残している。このほか製作年代を明らかにしないものの邪鬼を伴う大仏殿様像には次のようなものがある。東京・浅草寺宝蔵門像、神奈川・岡田美術館像、佐賀・広福護国禅寺像、奈良・東大寺戒壇院千手堂像、奈良・東大寺勧進所阿弥陀堂像、和歌山・慈尊院像、岐阜・長瀧寺像、アメリカ・フリーア美術館像、京都・壬生寺像、神奈川・宝城坊像(所蔵者 五十音順)。(二)大仏殿様邪鬼の定型と展開海住山寺像をもとに形状を確認する。同像多聞天分は後補のため、まずは持国天分、増長天分、広目天分の像容を述べる。持国天分 焔髪。顔は正面を向けて首を左に傾げ、頭部を右方向に向けて上体を起こして伏し、こめかみと臀部に本体の各足を受ける。両前肢は頬杖をつくような仕草を示す。両後肢を前に投げ出す。両前肢先は五本には満たないものの人間の指爪に近いかたちをあらわす。後肢先は獣蹄形の二指をあらわす。褌を着ける。増長天分 巻髪。顔は正面を向けて首を右に傾げ、頭部を左方向に向けて上体を起こして伏し、こめかみと臀部に本体の各足を受ける。左前肢は頬杖をつくような仕草を示し、右前肢は前腕を伸ばして肘をつく。両後肢は膝をついて曲げる。四肢先の形― 151 ―― 151 ―

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