鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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注⑴ 藤井恵介「醍醐寺所蔵の弘安七年大仏殿図について」(『建築史学』12、1989年3月、『密教建⑸ 前掲注⑷岩田氏論文では、金剛峯寺像、東大寺戒壇院千手堂像、長瀧寺像の多聞天分に確認できるとする。ただし金剛峯寺像は後補とする見方もある。長瀧寺像多聞天分は細部に相違はあるものの、頭部の向きと後肢を前に投げだすという特徴的な造形を確かに踏襲している。⑵ 水野敬三郎「新薬師寺四天王像について」(『日本彫刻史研究』所収、中央公論美術出版1996年1月。初出、「新薬師寺四天王像と吉田寺阿弥陀如来像について」東京藝術大学美術学部保存修復技術研究室他編『特別展観 甦る仏たち』所収、文化財保護振興財団、1991年)。山本勉・和田圭子「新出の大仏殿様四天王像について」(『國華』1186、1994年)。⑶ 前掲注⑵山本・和田氏論文。⑷ 岩田茂樹「大仏殿様四天王像に関する覚書─東大寺勧進所阿弥陀堂像の紹介をかねて─」⑹ 法隆寺上堂像邪鬼、慈尊院像邪鬼、フリーア美術館像の三具の邪鬼については、定型の写し崩れとも異なる別系統の図像を共有している。この問題については稿を改めて論述する用意がある。⑺ 吉田文「鎌倉再興期における東大寺大仏殿四天王像─天平期当初像との関係性を中心に」(『博⑻ 前掲注⑷岩田氏論文。⑼ 拙稿「日本の「邪鬼」観の形成と四天王信仰」(『日本宗教文化史研究』第22巻第1号、2018年)。⑽ 前掲注⑺吉田氏論文。⑾ 横内裕人『日本中世の仏教と東アジア』塙書房、2008年。⑿ 前掲注⑺吉田氏論文。図版出典図1 東京国立博物館編『興福寺中金堂再建記念特別展 運慶』朝日新聞社、2017年。図2 東大寺教学部編『東大寺諸尊像の修理』毎日新聞社、1994年。図3 浅草寺什宝研究会編『浅草寺什宝目録 第一巻 彫刻編』2018年。図4  奈良国立博物館編『国宝 信貴山縁起絵巻─朝護孫子寺と毘沙門天信仰の至宝─』奈良築空間論』所収、中央公論美術出版、1998年2月)。(『MUSEUM』612、2008年)。物館学年報』41、2010年)。国立博物館、2016年。図5、6 山本勉・和田圭子「新出の大仏殿様四天王像について」(『國華』1186、1994年)。図7  岩田茂樹「大仏殿様四天王像に関する覚書─東大寺勧進所阿弥陀堂像の紹介をかねて─」(『MUSEUM』612、2008年)。図8  奈良六大寺大観刊行会編『奈良六大寺大観 第7巻 興福寺1』、岩波書店、1969年。図9 中國美術全集編輯委員會編『中國美術全集 繪畫編 3-4. 兩宋繪畫』文物出版社、1988年。図10 東京藝術大学大学美術館ほか編『興福寺国宝展 鎌倉復興期のみほとけ』2004年。― 156 ―― 156 ―

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