鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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⑯宋代中国に見られる新たな図様の千手千眼観世音菩■像について研 究 者:早稲田大学 文学部 助手  羅   翠 恂はじめに─研究の目的─中国の千手観音像は、体幹部から伸びる42の大手に、経典が説く持物と印をとり、大手の周囲には中央に一眼を持つ掌のみの小手を同心円上に並べて「千手」をあらわす観音を中央に配置し、雲に乗って飛来する、あるいは地上に立つ/坐す諸尊がその周囲を取り囲むという群像形式が、8世紀半ば以降主流となった。以降、この形式が10世紀後半頃まで根強く受け継がれた(注1)。一方、宋代に入って突然出現する、一風変わった形式の千手観音像がある。この像の最も顕著な特徴は、千手をあらわす際に大手・小手の区別を設けず、全ての手に持物や印をあらわす点である〔図1〕。この「新様」の像については、これまで中国や日本の各地に点在することが知られてはいたものの、先行研究が個々の作例について類似作例を2、3点挙げるに留まっていたこともあり、実はある程度の数が現存することが見過ごされてきた。しかし、筆者が先行研究や報告書、ならびに実地調査にて確認したところ、少なくとも計11件が確認できた。また、唐代までの千手観音像ついては、42大手の持物や印はその各々が、観音が成就させる具体的な功徳だけでなく、観音の前で行われる修法とも対応していた可能性が指摘されているが(注2)、これは千手観音の造形における大前提と言っても良く、本研究で扱う宋代の「新様」像においてもその持物は、観音に対して願われた功徳や、その前で行われた儀式を反映していたと考えるのが自然である。ただし、「新様」像の図像は、五代までの図像的伝統とはかけはなれており、経典にも典拠が見出せない。そのため、図像解釈や信仰背景に踏み込む先行研究はきわめて少なかった。そこで本研究では、11の「新様」像を図像の傾向毎に分類した上で、南宋時代の文献史料に依りながら、これらの像が流行した経緯や、図像に影響を及ぼした信仰背景について探る。そして、この一見特異な図像の意味について考えたい。そのために第一部ではまず一連の作例を紹介し、全体を通して見られる共通点について説明する。次に第二部では11作例の持物表現に注目し、傾向毎に作例を分類する。そして最後に、文献史料に依りながら、像が流行した経緯や、信仰背景、および図像の意味について考察する。― 169 ―― 169 ―

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