世紀頃に画かれたものとの見方が定着しており、また⑬の耕三寺像は13世紀に日本で中国画を模写したものとされる。従って、中国風に画かれるのは当然である。しかし、興味深いのは③の楡林窟第3窟像や、⑨のトゥルファン出土絹本画など、西夏や西ウイグル王国の領土からも観音や眷属の顔立ちや装束、持物、背景の表現などが明らかに中国風の作例が発見されていることであり、この点については先行研究においても指摘されている。ただし、⑤崇福寺像については持物の表現など細部の図像要素は中国風でありながら、観音の面部は中央に目鼻が寄り、身体も肩がしっかりと張り肉付きが良く、壁画が描かれた金の地方様式が垣間見える。次に水や降雨を強調する表現であるが、⑥の台北像においては、画面の背景が一面の波となっている。観音の手前に表された眷属を見ても、雲に乗らないものはいずれも波の上に立つ。また、観音は腹前で方形の容器をとるが〔図6〕、その中には波と火焔宝珠があらわされている。背景を波とする表現は、③、④の楡林窟像においても見られる。両壁画において観音は、画面下方の壇の上に立つが、観音の背後は一面、波打つ水面となっている。また、特に興味深いのは、観音が千手の中でも左右両側に配置された手に水瓶を持っており、その水瓶から水が流れ落ちて、水面へ注ぎ込む表現である。また、台北像が腹前に持つ方形の容器の中に波と宝珠をあらわす点については、⑤の崇福寺像にきわめて近い表現が見られる。この作品において、容器の中身は荒れる波と龍になっており、龍の背後には暗雲が立ちこめ、その足先からは稲妻が走る〔図7〕。台北像であらわされていた宝珠は龍の持物、象徴である。龍は中国では古来、雨をもたらす土地の神として信仰され、古くから雨乞いの対象となってきた。従って、この二例の表現は、いずれも本質的には同じ内容、おそらくは降雨の功徳をあらわすものと思われる。最後に③、④、⑤、⑥、⑨、⑪の全ての作例で、観音の上方の手において、直上する光や雲、飛翔する龍や鳳凰などが見られる〔図8〕。観音から天へ向かっての働きかけを表すかのようなこの表現は、作例毎に少しずつ表現が異なるが、特に⑥台北像と⑨トゥルファン像、ならびに⑪耕三寺像における表現が近い。トゥルファン像は数十の断片となってはいるが(注4)、その頂上の手からは明らかに、直上する光や、雲に乗った龍などが確認できる〔図9〕。⑤崇福寺像においては、頂上の手には宝珠から吹き出す雲が見られるが、光線、龍、鳳凰などはあらわさない。以上、最も多くの作品を含むこのグループの特徴は、中国風の作風、水や降雨を強調する表現、そして観音から天への働きかけをあらわすかのような、上方の手の表現などである。― 172 ―― 172 ―
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