2-2 四川・重慶(四川地域)の作例次にまとめられるのは、①の安岳仏慧洞像と②の大足宝頂山8号龕像である〔図10〕。これらの像と他を比較した際の最も大きな相違点は、両像ともに摩崖石刻、つまり彫刻である点、そして坐像である点である。四川省と重慶直轄市を含む四川地域においては唐代以降、摩崖石刻の造像が盛んであり、また同地の千手観音像は、8世紀半ばまでのごく初期の作例を除けば、全てが坐像である(注5)。つまり、2つの特徴はともに四川の地方様式を反映する。その他に、持物の中に、鉢に盛られた瓜や仏手果〔図5〕、魚〔図11〕など食物が多いことも特徴的である。特に魚は①と②以外では見られない。長江の支流が網のように走り、また農産物も豊かな同地の土地柄を思わせる特徴で、興味深い。特に②宝頂山の仏手果は正面に立つ観者にとっては最も近い、観音の台座上に乗る左右手が持っており、食物の表現は両作において特に強調されていると言って良いだろう。また、宝頂山像においては更に、最外縁の下方にあらわされた左右の手の両側にそれぞれ、跪いて食べ物の盛られた鉢を捧げ持つ餓鬼と、観音の手からこぼれ落ちる銭を口を大きく広げた袋の中へ受ける、貧者があらわされている〔図12〕。これらは、甘露と宝雨を降らせると経典に説く甘露手、宝雨手を表現するものであり(注6)、やはり同地では8世紀初頭からよく見られる表現である(注7)。さらに、甘露手と宝雨手は、晩唐以降に同地で盛んに行われ、後に中国全土で大流行する、水陸会などの施餓鬼会と関連する表現であることが先行研究で指摘されている(注8)。2-3 「西域風」の作例最後に、千手の全てに印と持物を執るという枠組みは共通しながらも、その他の表現が大きく異なる作例群として、⑦の銀川、宏仏塔天宮出土絹本画と、⑧、⑩のトゥルファン出土絹本画が挙げられる。これらはいずれも断片のみが残るが、現存部分を見ると、絵の線は均一で中国画とは異なり、また⑩で観音の手前に跪く女性供養者像は、左右に大きく張り出すウイグル独特の髪型を結う。さらに⑦の宏仏塔像でも、観音の左右で供物を捧げ持つ菩薩像、あるいは天人像の髪型や装束は、同時期に中国で画かれるものとは大きく異なる。供物については、グリュンヴェーデルによる線画のみが残る⑩には鉢に盛られた食べ物など、先に挙げた2グループとも共通するものが見られるが、⑦、⑧は破損が激しく、確認が難しい。以上、11の作例を図像の傾向毎に、3つのグループに分類して紹介した。次に、宋代の千手観音像に関する文献史料の中から、「新様」像と関連すると思われるものを幾つかとりあげて、これらの像の起源や信仰背景について考察する。― 173 ―― 173 ―
元のページ ../index.html#185