鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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注⑴ ホアン・デ・フォンセカに関しては以下を参照。Tomás T. León, “El obispo D. Juan Rodríguez Fonseca, diplomático, mecenas y ministro de Indias”, Hispania Sacra, vol. 13 (1960), pp. 251-304; María J. R. Cantera, “Juan Rodríguez de Fonseca y las artes”, in Adelaida S. Gamazo (ed.), Juan Rodríguez de Fonseca: su imagen y su obra (Valladolid: Instituto Interuniversitario de Estudios de Iberoamérica y Portugal, 2005), pp. 175-206; Rosario I. G. Salinas, “Sorrows for a devout ambassador. A Netherlandish altarpiece in sixteenth century Castile”, Potestas. Revista del Grupo Europeo de Investigación Histórica, vol. 1 (2008), pp. 101-130 (pp. 109-12).⑵ バダホス大聖堂の「アンティグアの聖母」に関してはCantera, op. cit., p. 178. コルドバ司教時に注文・購入した装飾写本に関しては、Lieve De Kesel, The Hours of Queen Isabella the Catholic (Gütersloh / Munich: Faksimile Verlag / Wissenmedia inmediaONE], 2014), p. 36. ブルゴス大聖堂内の「黄金の階段Escarela Dorada」に関しては、Cantera, op. cit., 198-99.で義務化されていなかったため、作品完成年の下限を提供する。タペストリーの原位置に関する記録は残されていないが、概して《聖母の七つの悲しみ》三連画が置かれた祭壇の傍に、ミサ及び聖務が挙式されている間に掛けられていたと考えられている(注20)。《サルヴェ・レジナ》タペストリー連作の図像は、《聖母の七つの悲しみ》三連画の前で毎週土曜日に挙式されていた聖母に捧げられたミサと「サルヴェ・レジナ」の聖務の内容と完全に対応する。そして《サルヴェ・レジナ》タペストリーは、《聖母の七つの悲しみ》三連画の注文に端を発する、フォンセカによるパレンシア大聖堂における芸術擁護計画の最後のピースであった。「聖母の七つの悲しみ」を描き出した三連画は、聖母に捧げられたミサと「サルヴェ・レジナ」の聖務、更に後には《サルヴェ・レジナ》タペストリーとに呼応しあっていたことだろう。そしてイメージの前で敬虔に跪き、聖母の悲しみに思いを馳せるごとに主の祈りと天使祝詞を祈る者たちに、霊的恩寵を執成し続けていたのである。聖母の傍らで敬虔に祈りを捧げるフォンセカは、信者の理想的モデルとして、そして「聖母の七つの悲しみ」信仰と壮麗な三連画とタペストリーをブリュッセルからパレンシアへと齎した人物として、今でも大聖堂の第二心臓部ともいうべき場所で訪問者を迎え入れているのである。― 7 ―― 7 ―* 本稿は助成を受けた研究のなかでも2018年5月から12月にかけて行った事例研究に基づく。なお、本稿の前提となる研究は著者の博士論文第5章を参照。Promise to the Penitent: Images and Indulgences in Early Netherlandish Painting, Ph.D. diss., Ghent University, May 2017.

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