鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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3.『920年聖書』対観表の福音書記者像表現対観表は福音書の共通箇所を四つ、三つ、二つの福音書でそれぞれ比較をし、最後に各福音書にのみ表記される箇所をまとめた構成となっている。福音書記者像は〔図1〕のように、各福音書の章句番号が配された表のアーチ上に、マタイ(人/天使)、マルコ(獅子)、ルカ(雄牛)、ヨハネ(鷲)の、獣のシンボルの姿で描かれる。『920年聖書』の対観表では福音書記者像は〔図1〕の姿で表されるが、第二の対観表の二番目〔図2〕と三番目〔図3〕のみが、動物の上半身に人間の手を持つ「獣頭人間型」(注14)の形で描かれる。雫型の瞳や枠取りされた身体から伸ばされるマタイの両腕は〔図7〕と共通し、同じ作者によるものと推定されよう。さらに、〔図3〕は対観表の銘文マタイ、マルコ、ルカに対して、図像はマタイの象徴の人物像を中心に構成され、マルコの獅子と会話をするかのように両腕を交わし合う大きな身振りをとっていることが注目される。ルカも高く右手を伸ばし、下腹にも小さな左腕が描き込まれている。この変更の意図を『960年聖書』の同箇所と比較し仮説を試みる。第二の対観表はマタイ、マルコ、ルカの福音書、聖書学でいう共観福音書の共通箇所一覧であり、全部で十種類の対観表の中で最も数多く章句が挙げられている。〔図2〕の対観表はイエスの公生涯での説法や奇跡の場面にあたり、『960年聖書』の同箇所〔図4〕では、人物像(マタイ)に、獣たち(マルコ、ルカ)が頭部を向け、あたかも話を聞いているかのように描かれている。この表現は同じ系統の1162年に制作された聖書(サン・イシドーロ参事会聖堂、Cod.3)〔図5〕においてより明確な形で踏襲されている。〔図3〕の対観表の内容は、イエスの受難であり、『960年聖書』〔図6〕でも対観表の銘文に反して、ルカを中央に据え、両脇のシンボルが喉元深くに指を差し入れるなど受難や干渉を思わせる身振り(注15)で描かれている。〔図3〕のマタイは『920年聖書』の特徴である、側面の輪郭が混じった正面観〔図1〕とは異なり、完全な側面観に目鼻を詰め込んだような複雑な容貌となっている。以上の変化がどの程度意図的なものかは不明ではあるが、これらを描いたヨアンネスは署名が多く(注16)、銘文には自ら「描いた pinxit」と記しており(f.202)、挿絵作成においても主導的な役割を担っていた可能性がある。福音書前に置かれた「キリスト伝」も当時の福音書には類例がなく、〔図2、3〕の表現は、イエスの生涯をとくに想起させる第二の対観表を差別化させるために採られた可能性が考えられる。4.対観表の番号配置『920年聖書』は旧約聖書本文の大半が失われているため、テキスト研究の分野で― 183 ―― 183 ―

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