鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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は、『960年聖書』との関連は指摘されていない(注17)。しかし今回、対観表の番号を精査(注18)したところ、配置順番に重要な共通点が見いだされた。その特徴が顕著であるのは〔表1~3〕である。比較対象のWeber版とは『920年聖書』本文にも採用されたウルガタ訳(注19)、Nestle版はギリシア語聖書の対観表である(注20)。ウルガタ訳の伝播系統に反し、『920年聖書』も『960年聖書』もNestle版と番号の多くが共通する。Nestle版は数字を「昇順」に並べ替えたものであり、少なくとも合理的な番号の編纂が行われ、継承されたことは明らかである。とくに〔表3〕に見るように『920年聖書』はNestle版よりも『960年聖書』との共通点が多い。対観表の章句番号の配置は写本間で継承されたと推定するなら、福音書記者像を含む対観表装飾表現も、同一あるいは近しいモデルから同時に引き継がれた可能性が指摘できよう。5.福音書記者像表現の継承と発展『920年聖書』の福音書記者像は10世紀のイベリア半島で数多く制作される黙示録写本群(注21)に先立つ作例である。獣頭人間型の形式ばかりではなく、その意味合いにおいても先駆的な役割を担っていたといえる。例えば福音書記者の単独の肖像〔図7〕の5つのメダイヨン構成は、メロヴィング・カロリング朝などの主の顕現像に由来するが(注22)、マタイは福音書を筆記する姿ではなくオランスの立ち姿で描かれ、福音書記者像よりも黙示録の「四つの生き物」である意味合いがより際立つように報告者には思われる。このメダイヨン構成は『960年聖書』の「マイエスタス・ドミニ」(f.2)および、同じ作者フロレンティウスによる945年の『ヨブ記註解写本』(マドリッド、国立図書館、Cod.80)の同主題にも採用されている。とくに後者の「マイエスタス・ドミニ」は、ヨハネの表現においても『920年聖書』を踏襲し(注23)、四福音書記者表現の転機となった挿絵の一つである(注24)。同じ10世紀、福音書記者像は黙示録の「四つの生き物」としても頻繁に黙示録写本に登場した。『960年聖書』の対観表では、獣のシンボルと獣頭人間型という表現形態を使い分け、翼の有無や聖書を持たせることで、対比的な表現が工夫され(注25)、福音書記者像は一巻本聖書において旧約聖書と福音書、黙示録とを視覚的に繋ぐ存在となった。おわりに『920年聖書』と『960年聖書』は、時代や地域が近い一巻本聖書でありながら、先行研究において具体的な関連性が見出されることはなかった。しかし、今回の調査で、対観表の福音書記者像の獣頭人間型の表現の採択は明らかな「描き分け」であり、対― 184 ―― 184 ―

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