鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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『履歴』によれば、フェー伯爵は油彩画8点を持って来日しており、「負翼童子」すなわち「キューピッド」を描いた本作品は、そのうちの1点と考えられる。「一面破損アルニヨリ或日本画工ニ修補ヲ委託セシニ其補彩不適意ノ為メ不快ヲ感シ」とあるように、来日する際の輸送時か、それ以降に画面が破損したため日本の絵描きに修理をさせたところ、補彩によって不快なほどのひどい状態となったようだ。改めて高橋由一に修復を依頼するも、高橋由一に画家が修復すべきではないと断わられた。フェー伯爵はこの高橋由一の誠実な態度に感心し、廃棄するならせめて日本の画家の参考になればと本作品を贈ったというのである。なお、本作品は明治26年(1893)10月28日から11月12日に京橋区新富町の近源亭跡地で開催された洋画沿革展覧会に「筆者未詳、出品人高橋由一翁」として出品された《百五十九号 油画 神童古画》であると考えられる(注3)。それにしても「この絵の持つ思考法、構成法、技法から影響を受けた形跡が全くないように見えるのはどういうことなのか」(注4)と青木茂氏が指摘しているとおり、本作品を見ていたはずの高橋門下の画家たちの回想等においても、本作品に関する言及は見あたらないのはなぜなのだろう。ビタリサレバ ホンタネジー氏ノ帰国ニ際シ留別ノ情止マザルヲ見テ 同氏ガ画カケル伊太利ノ山水真写小油絵ヲ紀念ノ為メ贈恵アリ 又由一ガ揮画一面ヲ又紀念ノ為メ本国ニ持帰リタシトノ依託ニヨリ近作ノ不忍池畔小油画ヲ贈呈セリ/コントへー氏本国ヨリ齎シタル古作油画八面ヲ居館内ヘ掲ケ置ケリ 其内負翼童子(恋情ヲ司サトル神)ノ図一面破損アルニヨリ或日本画工ニ修補ヲ委託セシニ其補彩不適意ノ為メ不快ヲ感シ外ニ修理ノ能手ヲ選バントシテ由一ニ依頼セラレタリ 由一熟観セシニ頗ル大破ナレバ迚モ画手ノ補フヘキニアラズトテ辞退セシニコントヘー氏曰ク君ノ答正実ニシテ悉ク意ニ適セリ然ル上ハ廃物ト為スノ外ナシ 然シ幸画家ノ参考ニモナラントノ見込アランニハ君ガ思想ノ潔ナルニ報ヒ進呈スベシト 由一雀躍シテ恵投ヲ乞ヒ 今猶所有セリ 其以前由一ガ弄写セル布引瀑布油画希望アルニヨリ同氏ニ贈レリ」(注2)。アレッサンドロ・フェー・ドスティアーニ伯爵本作品を高橋由一に贈ったアレッサンドロ・フェー・ドスティアーニ伯爵は、北イタリアのブレシャ出身の外交官で、ブラジル駐在を経て明治3年(1870)に来日し、明治6年(1873)からしばらくヨーロッパに戻っている期間を含め明治10年(1877)までの足掛け7年を駐日イタリア公使として日本に滞在している。日本での主な任務― 195 ―― 195 ―

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