鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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【主な作例について】つぎに、調査によって知られた中世の作例について報告する。①《木造阿弥陀如来立像〔図2〕》 一躯(鎌倉時代)大照寺(浄土真宗、下甑島手打地区)本尊像。本寺は廃仏毀釈後の明治23年に創設された寺院であるが、もとは同じ地区の廃絶した真言宗「大性寺」の仏像であったという。近代の修理の際に像内に銘が見つかり、「建長2年(1250)8月」、「大隅国国分寺僧開眼」などと記されていたという(注5)。大性寺は江戸時代前期の創建とされ(注6)、銘記を信じるならば創建の際、大隅国から移座されたものか。本像は像高94.3cm、髪際高89.2cmを測る三尺像(注7)。品質構造は頭体部別材(挿し首)か。頭部は面部を前後に割り、玉眼を嵌入する。体部は幹部を一材から彫り出して、背刳を施し背板をあてる。両肩に別材を寄せ、両手首を挿し込む。足先も別材。現状古色。体部には裙と祇支を着け、さらに大衣と覆肩衣をまとうが、その服制は正面と背面とで整合していない。像は正面を向き、脚を揃えて立つ。実人的な面貌表現や複雑で彫りの深い衣褶などから、制作されたのは鎌倉時代と考えられ、像内に記されていたという「建長2年」の造像銘とも符合する。一方で、やや素朴な面貌や整合しない服制、頭部を差し首として背刳りを施す構造など地域性を看取させる点も目立つことから、制作されたのは畿内以外の地方と思われる。大隅国国分寺にて開眼との銘記伝承も首肯されるものである。②《神王面(阿吽)、〔図3〕》 二面(室町時代)本面は、上甑島の某八幡宮の仮面(所蔵先は信仰上および防犯上の理由から伏せる)。この八幡宮には本面など阿吽一対の神王面が四組八面まつられており、本面はその中でも古く状態もよい。《神王面(阿形)》は面長26.2cm、面幅19.2cm。クス材とみられる広葉樹材製で、両眼孔は不貫。鼻孔は穿っているが不貫。開口し、貫通している。《神王面(吽形)》も材質は同じで、面長23.8cm、面幅19.3cm。阿形と同じく両眼不貫。鼻孔も穿つが不貫。閉口。いずれも両眼や口に白色顔料の下地が残る。神幸行列の先頭で練り歩く舞を王舞などというが、その際に着ける面を王舞面、鼻高面などとよんでおり、その形状は口をへの字に引き結び、眉をしかめ大きな鼻を持つものが多い(注8)。本面も、への字に引き結んだ口元や大きな鼻が特徴的で王舞面系の面とみられる。加えて南九州では「神王面」とよばれる一連の面が存在しており、その形状は太い眉や高く大きな鼻など王舞面に通じる点がある。宝治元年(1247)、薩摩国新田八幡宮の神王面が破却され、その事件を引き起こした地頭行願は― 203 ―― 203 ―

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