鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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とした場面であるのに対し、「哀悼」はキリストの近親者の感情の発露にフォーカスしたものである。一方でそれはひとつの物語場面として、後述する「ピエタ」図像のもつイコン的な性格と対比を成す。とはいえ、「哀悼」を「十字架降下」や「埋葬」の場面と明確に区別し独立した場面として扱うかどうかは個々の裁量の部分が大きく、後者ふたつの場面のいずれかに哀悼者たちの姿を立ち会わせることで「哀悼」の意を描出する作例もまた少なくない。こうした「哀悼」図像の定義の曖昧さ、解釈の自由度の高さは、本研究で扱うイタリアの彫刻作例をまさに特徴づけるものである。極めて近い群像表現が普及したフランスでは、これらを「キリストの埋葬」という呼称で統一しているが、イタリアでも北部の作例に関しては15世紀当時の史料で「埋葬 Sepolcro」と呼ばれていることが多い。しかしフランスの作例のほとんどが、文字通り死せるキリストを石棺のふたの上に置くか棺の中に収める瞬間を描写する一方で〔図2〕、イタリアでは先行する絵画や彫刻の「十字架降下」や「ピエタ」表象と融合しながら、時間と場を自由に組み合わせた無数のヴァリアントが試された。それは各地の現存作例の慣習的な呼び名が、Sepolcro以外にLamentazione、Mortorio、Deposizione、Pietàと多岐に渡っていることにも表れている。近年では「哀悼 Compianto sul Cristo morto」の呼称が一般化し、キリストの死を嘆く群像表現がこの図像名の下に集められ、大きなカテゴリーを形成する状況を生んでいる。1-2.彫刻表現のルーツ図像的に「キリスト哀悼」と関連深く、その彫刻表現の成立における直接的な源泉と言えるのが、「ピエタ」と「十字架降下」である。イタリア語で「ピエタ」、ドイツ語で「晩課像(ヴェスパービルト)」と呼ぶところの、死んだキリストを膝に抱く聖母の独立像は、「十字架降下」と「哀悼」への祈りに捧げられた晩課のための礼拝像として13世紀末から14世紀初頭にかけてドイツで成立した。そこでは、クレルヴォーのベルナルドゥスに端を発する、キリストの受難によって聖母も精神的に受難するという共同受難の発想のもと、ドイツ神秘主義者により聖母の痛みに焦点をあてた瞑想が推奨されていた。偽ボナヴェントゥーラ─今日ではジョヴァンニ・デ・カウリスの手に帰される『キリストの生涯についての瞑想』に代表される、観想を用いた精神的祈祷のための手引書が普及するなかで、礼拝像はそこに描出された場面を想起させるものとみなされたのである。イタリアにおいて1400年以降にヴェネト州を中心に広まった彫刻作例は、主にアル― 214 ―― 214 ―

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