注⑴Gabriel Millet, Recherches sur lʼiconographie de lʼÉvangile, aux XIVe, XVe et XVIe siècles, 1914, pp. 499-515; Kurt Weitzmann “The origin of the Threnos” De artibus opuscula XL, 1. Text, 1961, pp. 476-490.⑵Agostino Allegri e Antonio Mazzotta ““Vesperbild”: un percorso attraverso la mostra” Vesperbild: alle⑺ 細長い紐状の粘土をとぐろ状に積み上げて丸彫像を制作する技法⑻Giancarlo Gentilini, Una pietà di Andrea Della Robbia, Firenze: Tassinari, 1991, p. 11.結点であったフランシスコ会、ドミニコ会を中心とした托鉢修道会聖堂の祭壇が多く、そのために聖フランシスコのような聖堂や祭壇に由来する聖人像を伴っている。そしてサヴォナローラに傾倒した彫刻家たちによって示された自制された哀しみの表象は「(聖母が)泣いたと思うなかれ…叫んでいた、はしたなく髪を振り乱していたと思うなかれ。彼女は痛みのない感覚をもって自制することができたのだから。」(注8)というこの修道士の言葉を視覚化しているといえよう。以上本論では、ポー河流域とトスカーナ州に展開された「キリスト哀悼」彫刻表現のふたつの造形的傾向を概観し、「埋葬」から発展して、物語を演じる群像の中に自己投影できるような強い身体的共感を呼び起こす前者の表現と、「ピエタ」図像にもとづき、哀しみを自制した聖母の姿を介して瞑想を促す後者の表現とを比較して論じた。実際には作品群は互いに影響を及ぼし合いながら有機的な発展を遂げており、本論の枠組みから外れる多くの作例も残している。特殊な事例が生まれた背景を精査すると同時に、彫刻家の移動や同時代絵画の図像伝播も併せて巨視的に考察していくことが今後の課題となる。⑷14世紀末から16世紀半ばに年代づけられる丸彫と高浮彫の群像表現を対象とした。「哀悼」の一部であった可能性があっても、単独でも図像的に成立する「ピエタ」や「キリスト横臥像」は除外した。国外に所蔵される作例に関しては、当初の制作地が分かるものについては制作された州に、それ以外は制作者の活動州に含めた。この統計に未確認の作例や散逸した作例などが加わると考えると、当初は約150年間のうちに200近くの作例が存在した可能性があろう。⑸数少ない先行例として、近年ミケーレ・ダ・フィレンツェに帰属される《哀悼》がモデナに、キリスト横臥像がレッジョ・エミリアに再発見されている。⑹大野陽子『ヴァラッロのサクロ・モンテ:北イタリアの巡礼地の生成と変貌』三元社、 2008、 ― 220 ―― 220 ―origini delle “Pietà” di Michelangelo, Milano: Officina Libraria, 2018, pp. 35-124.⑶Claudio Bernardi “Deposizioni e Annunciazioni” Il teatro delle statue: gruppi lignei di Deposizione eAnnunciazione tra XII e XIII secolo, Milano: Vita e Pensiero, 2005, pp. 69-85.pp. 69-73.
元のページ ../index.html#232