鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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㉑ 近代日本における女性画家の活動・交流およびその展開に関する研究─武村耕靄の旅行と制作の関係を中心に─研 究 者:杉並区立郷土博物館分館 学芸員  田 所   泰はじめに日本の女性画家に関する研究は、個々の画家や作品を取り上げ論じたものはもちろん、女性画家を取り巻く社会制度や教育環境、また女性画家同士の交流や団結の様相解明など、多角的な視点から進められている。なかでも女性画家にまつわる制度論的な研究は、ジェンダーの視点が導入された昭和60年代以降さかんに行われ、多くの成果がもたらされた。その一方で、こうした研究成果を無批判のままに応用し、さまざまな事象を理解しようとしてきた向きも窺える。その一例が、女性画家と旅行に関する問題である。草薙奈津子氏は、近代女性画家に風景画家が少ない理由について述べられるなかで、風景画を描くためには写生旅行に出かける必要があるものの、家事を担う女性が家を留守にすることは容易ではなかったこと、さらに女性のひとり旅はそれ自体が身の危険をともなうものであったことを指摘されている(注1)。このような見方の背景には、若桑みどり氏が早くに指摘されているような、女性画家をとりまく家族制度や結婚・出産に関する問題があるのだろう(注2)。しかしながら、若桑氏の論点は女性が芸術家となり得る条件の解明にあり、すでにこれらの条件を満たし、芸術家として活動している女性が対象である場合には、必ずしも有効な視点とは言い切れないのではないだろうか(注3)。たとえば上村松園は、女性の同行者が身近におらず、かといって男性と同道ではあらぬ誤解を招く恐れがあるため、なかなか旅行にいく機会がないと述べつつも、「画会や展覧会や、有名な書画の入札の下見になどは必ず独りで見に出かけます」と語っており(注4)、実際に明治44年(1911)、東京帝室博物館で開催された「徳川時代婦人風俗」に関する特別展覧会を見るために上京している(注5)。また、奥原晴翠は次のように語っている(注6)。菅原白龍さんが、「南画を描くには是非とも山水の景を見て歩いて真景を極めなければならぬ」と教へられましたので、米沢地方へ出掛けたいと思ひました。母は堅く引止めましたが、どうしても一人前の画師となるには実地の研究をつまねばなりませんからと、強ひて請うて出掛けることとしました。― 224 ―― 224 ―

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