木の根に足をとられて転んでしまったという一見たわいもないエピソードだが、ここからは耕靄が日光の山中を、同行の者もなくひとりで歩きまわっていたことが読み取れる。これらの例のように、耕靄は山道などでも臆することなく、ひとりで自由に歩き回っていた。そのせいもあってか、次のような体験もしている。日記の明治21年9月4日条、箱根旅行中の記事である。朝六時に起出秋葉山の真景をうつさんとて細雨を冒し独りかしこに登る(中略)図も成りたれば静に山を下る四方の連山雨後にておもしろく風の木梢を吹さまもなかなか見どころありとあなたこなたを詠めつゝ立もどり行かへるさまいかにもあやしげなりしなるべし洋犬の何所よりか飛来り我足にかみ付たり幸にして衣を重ねたれば少し歯のあと見へたる程にてさしたる事なしかへりて此話し人々の聞給ひ無事を喜れぬ写生を終えて山をおりる途中で、耕靄はどこからともなくあらわれた野良犬に足を噛まれた。このような経験をしているにもかかわらず、先の日光の例のように、耕靄はその後もひとりで山道などを歩き回っている。物怖じしない性格やフットワークの軽さは、耕靄のひとつの特徴であるといえるが、その旅行歴からは、女性であるがための行動の制限を受けていたようすはほとんど窺えない。また、たとえ制限を受けるような場合であっても、なにかしらの解決策を、耕靄は見つけ出していた。2.旅行の目的このように耕靄はたとえひとりであろうと意に介せず、さまざまな場所へと赴いているが、その主な目的は画囊を肥やし、画家としての研鑽を積むため、また作品制作を前提とした写生を行うためであったと推測される。展覧会への出品作のうち、表2の旅行歴などを参考に、耕靄が訪れたことのある地を描いた作品を挙げれば、次のようになる。明治15年 明治23年 明治26年 明治29年 《松島真景》 《函根堂島松ヶ岡真景》 《塩原天狗嶽真景図》 《晃山戦場原秋草図》 《晃山華厳瀑図》 ― 227 ―― 227 ―第1回内国絵画共進会(注14)日本美術協会展日本美術協会秋季美術展第1回絵画協会展日本美術協会秋季美術展
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