― 228 ―― 228 ―日本美術協会秋季美術展日本美術協会秋季美術展日本美術協会秋季美術展第32回日本美術協会展日本美術協会常陳列会第1回東京南画会展第36回日本美術協会展第40回日本美術協会展東京勧業博覧会第41回日本美術協会展同上第3回日本南宗画会展同上第14回日本画会展第5回日本南宗画会展同上日本美術協会臨時絵画展覧会第17回日本画会展同上明治30年 明治31年 明治33年 明治35年 明治36年 《松島図》 《小金原御料牧場図》 《御殿場望岳図》 《妙義山第一石門図》 《中禅寺湖畔》 《屋島壇の浦》 《春日野双鹿図》 《備後阿伏兎観音真景》 《大谷川》 《寒霞渓層雲壇》 《吉野瀧田》 《豪渓山水》 《金洞中朝日嶽》 《阿含瀑布図》 《晃山幸湖》 《晃山草花》 《豪渓洞門》 《春日山中図》 《吉野下千本図》 明治37年 明治39年 明治40年 明治42年 明治44年 大正元年 大正4年 このうち明治36年の《屋島壇の浦》と39年の《備後阿伏兎観音真景》については、表2に記載がないが、明治36年4月の近畿・四国旅行の際に用いられたと考えられる『写生帖』8には、「屋嶋」と記された図が複数含まれており、このときに耕靄は屋島近辺へも立ち寄っていたと推測される。また、明治39年4月の広島・香川旅行の際の『写生帖』19には、「阿伏兎 ふろ浜」「阿伏兎岬」などの書き込みがある図が含まれ、このときに広島県福山市の阿伏兎を訪れていた可能性が高い。このように耕靄は各地の風景を写生して実景に学び、自らの制作へと活かしており、展覧会評においても、粉本に頼らない自然描写が評価されている(注15)。残念ながら、現在確認されている耕靄の作品は決して多くなく、写生図と本画との比較などは今後の課題である。こうした制作や研鑽を目的とした旅行のほか、耕靄の場合に特徴的なのが、転地療養を目的としたものである。病気がちであった耕靄は、長期にわたって仕事を休むこ
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