ねて岩の立体感を表そうとする表現は、雲谷等顔筆「孔雀牡丹図屏風」(山口・洞春寺)や雲谷等顔筆「山水図屏風」(山口・熊谷美術館)などにも見出すことができ、MOA本が等顔筆と推定されることも首肯できる(注8)。とりあえず、本図は、雲谷等顔や三谷等宿周辺での制作の可能性と広く考えておきたい。左隻の鷹狩図には、早梅の咲く春の原野で鷹狩に興じる武人たちが描かれている。第一扇下部には、五羽の小鳥を括り付けた竹笹を持つ月代の人物〔図4〕、第一扇と二扇中央には白犬を放つ犬飼が描出される。第一扇から四扇にかけては、荒々しい鷹狩の場面が点在するのに対し、第五扇と六扇には茅葺き屋根の屋式や揚げ簾戸が見て取れ、穏やかな時間が流れている。そのような情感は、日常風景を象徴するような竹箒で掃除をする老人からも漂わせる。また、鷹狩図に見られるモチーフについて、筆者は鷹狩の故実を著した「鷹書」からの引用の可能性を述べたこともある(注9)。例えば、先述の竹竿に五羽の小鳥を括り付ける方法は、鷹狩では一般的な方法であった。永正3年(1506)3月に書かれた『斎藤朝倉両家鷹書』には、「鶉雲雀小鳥をはさむ事」〔図5〕とあり、本図と類似する図柄が表されている(注10)。他に犬の描写なども鷹書からの典拠が認められ、本図は、実際の鷹狩の手法を参考に描かれた作品と位置づけることができる。次に右隻の花見図について確認する。画面中央には、風流踊に興じる女性たちが描かれている。女性たちは、布で顔を隠し、手に桜の枝を持つ。一部の女性たちの衣服には金泥が多用され、朱や緑で彩られた小袖の表現と相まって、華やかな花見の場面が演出されている。画面の右上には、建物と幕が見える。その対角線上にある画面左下には、女性たちを運んできたらしく駕籠者と駕籠が描かれている。駕籠者たちは、酒宴をする者や疲れ果てて座り込む者もおり、寒色系の色使いと相まって華やかな風流踊とは対照的な情景で構成されている。そのような対比は、第五扇に見られる白藤が絡みつく巨大な松の木で画面を分断することで、強調されている。花見図と鷹狩図で大きな相違点は、遠近感の処理の方向性に差があることであろう。両図ともに人物描写は、遠近を問わず同じような大きさで描かれている。花見図では、画面左下から右上に移動するに従って近大遠小といった遠近感が表現され、同一視点からの描写が見受けられる。人物たちと樹木や岩といった自然描写との間では、遠近感に違和感はない。しかし、鷹狩図では、奈良時代の「絵因果経」(醍醐寺、出光美術館他)のように近景と遠景など全ての人物や自然描写がほぼ同じ大きさで描かれ、画面に奥行がない。山などの自然景観で場面の文節化をはかっている点でも「絵因果経」と共通する。加えて、両図の松の表現にも注目したい。花見図の松の葉― 237 ―― 237 ―
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