鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
250/643

〔図6〕は、やまと絵に見られるように横に広がって面で描出されているのに対し、鷹狩図〔図7〕では線で松葉が表されている。このような両図に見られる表現の違いをどのように解釈すればよいのだろうか。MOA本以外には、花見と鷹狩が組み合わせとなった作品は調べた限りでは見当たらない。「花見」と言えば、「吉野」が連想され、古来より桜の名所として、画題ともなってきた。山本英男氏と井戸美里氏は、花見図は「吉野の花見」が描いたものとするが、対となっている鷹狩については、踏み込まれているわけではない。一方の鷹狩は、どのような鷹狩をテーマとしているのだろうか。鷹狩を主題とする画題で言えば、「野行幸」という天皇が大原野などの野で鷹狩をするというものがあるが、本図には貴人が描かれているわけではない(注11)。「花見図」が、吉野を描いたものである可能性は十分理解できるものの、鷹狩と対となった背景が不明なのである。MOA本には、鷹狩図に梅が書かれ、早春におこなわれた鷹狩を表したことが理解できる。基本的に鷹狩は冬季に催されるものであり、伝存する多くの鷹狩図には、雪山などの冬の季節表現がある。そのため、この組み合わせは、鷹狩図の中でも稀な春を表しており、制作当初から花見図とともに春の行事を組み合わせた作品と指摘できる。この背景を解釈するために、まず、花見と鷹狩が同時に記された文学作品から考えてみたい。『伊勢物語』八十二段「渚の院」には、交野(現在の大阪府交野市)で鷹狩をした後で、桜の花見を催して和歌に興じる情景が記されている(注12)。また、『新古今和歌集』に、藤原俊成による「又や見む交野の御野の桜狩花の雪散る春の曙」の和歌が収録されているように、交野は、鷹狩と花見が一緒となった「桜狩」の名所として知られていた(注13)。交野は、やまと絵の題材として桜の名所だけではなく、鷹狩の名所として屏風に描かれていた(注14)。伝存作例はないが、屏風を題材に詠まれた和歌などから推測されている(注15)。MOA本には、桜の花見と鷹狩図に梅が描かれていることから、両図ともに「春」の景色を題材としている。伊勢物語には、春に鷹狩をおこない、その後に桜の花見をしたことが書かれている。このことから、MOA本は伊勢物語を典拠としていること加えて、花見と鷹狩が一対となった理由も判然としない。先行研究でも、花見図が「吉野」を表したとする指摘があるものの、鷹狩と一対となった背景までは踏み込まれていない。従って、MOA本には、①画題の組み合わせと②表現の違いという二つの不明瞭な点を認めることができる。以下、この点について解釈を試みたい。2 花見と鷹狩の組み合わせ─交野の桜狩― 238 ―― 238 ―

元のページ  ../index.html#250

このブックを見る