へ自ずから飛び込んでいく姿に擬えたペルシア語神秘主義詩固有の比喩表現である。このような対等ではない愛の関係の当事者は、ペルシア語神秘主義詩の用語においてはそれぞれ、「愛する者 āshiq」と「愛される者 mashūq」と定義される。《ドーハ燭台》のペルシア語詩は、終始、「愛する者」である〈わたし〉の視点で語りが進行しており、前者の詩では、「愛される者」である〈彼〉(=唯一絶対の神)を求める〈わたし〉の苦しみが、「愛される者」である〈蝋燭〉を求める〈蛾〉に擬えられている一方、後者の詩では、「愛される者」(=〈蝋燭〉)の「愛する者」(=〈わたし〉)に対する優位性が説かれている。本作品の器形・機能は燭台(すなわち、「蛾と蝋燭」の関係が展開される場)であることから、この「蛾と蝋燭」の寓意を主題とするペルシア語詩は、意図的に銘文として選択されたものであると考えられる(注3)。筆者が把握している限り、同一の詩を有する金属製燭台は他に知られていない。他方、《ドーハ燭台》の裏側は、装飾に乏しい。今回の調査により新たに判明したのは、底部の縁付近に、表側のペルシア語詩銘文とは明らかに異なる素早い筆致で書かれた、以下のような内容のペルシア語(注4)の宗教的寄進(ワクフ)銘文の存在である〔図6-a、b〕。つまりこの銘文は、《ドーハ燭台》が本来、アガー・ワリー・ハーンという人物によって「イマーム・ムーサー・カーズィム(祈願文略)の光輝く清浄なる敷居」に対し、そこでの使用を前提として宗教的寄進された物品であることを示している。ここで重要なのは、「イマーム・ムーサー・カーズィム(祈願文略)の光輝く清浄なる敷居」が、ほぼ間違いなく、イラク中部バグダード郊外の都市カーズィマイン〔図7〕に位置する、ムーサー・カーズィム(799年没)の廟を示しているという点である。ムーサー・カーズィムは、十二イマーム・シーア派の教義においては、第7代イマームにあたる人物である。十二イマーム・シーア派とは、イスラーム共同体の宗教的・政治vaqf kard īn shamdān-rā Aqā Valī Khān bin Qāsim Alī ba-Āstānah-yi munavvar-i muahar-i Imām Mūsā Kāim alayhi [al-salām] am-kunandah ba-lanat-i khudā va nafrīn-i rasūl giraftār bādカースィム・アリーの息子アガー・ワリー・ハーンが、この燭台 shamdānを、イマーム・ムーサー・カーズィム―彼ノ上ニ[平安ガアリマスヨウニ]―の光輝く清浄なる敷居 Āstānahに寄進した。[この燭台を]無闇に欲する者が、神の呪いと使徒の罵りを得ますように(注5)。― 14 ―― 14 ―
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