鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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で穴の際をかたどっている。さらに、口元をよく観察してみると、ここでも上まぶたや鼻孔と同様にまず薄墨で唇全体の輪郭をとり、上下の唇の境にだけ、上から一段階濃い墨でアクセントをつけて口角を引き締めていることがわかる。さらにはその唇の下に引かれた口元のたるみの皺の線は、外側の一部にだけ朱線を沿わせている。鼻の下のくぼみには薄く朱がはかれている。妙智院本と慈済院本の表現を細かく見ると、上下の唇の間の線が慈済院本では3本にわかれており、妙智院本では、はじめに薄墨で全体を書き、上から濃い墨をかぶせている。黄梅院本の線も繊細だが、妙智院本にみられるような墨の諧調による表現は認められない。次に耳の表現では、輪郭を薄墨線でとり、米倉氏が指摘されるように耳道の下に濃い墨でアクセントをいれる。このアクセントは妙智院本にのみ見られる特徴ではなく、黄梅院本や光明寺本にも共通してみられる。このアクセントの上に位置する耳の穴の最も深い部分に施される暈が妙智院本、黄梅院本、慈済院本が朱暈であるのに対して光明寺本ではみられない。頰髯は夢窓疎石像には必ず描かれるが、妙智院本の表現は極めて繊細である。よく観察すると白と墨、そして朱の三種の線で表されている。鼻筋やあごのたるみの部分に、墨線に寄り添うように入れられていた朱線が、ここでは墨線から離れて奔放にひかれている。妙智院本では、爪先が白く塗り分けられ、また爪の付け根の白い爪半月も表現されている。さらにほのかに朱がはかれている。ここまでの細部の細かな表現は黄梅院本、慈済院本にはみられない。妙智院本は主に朱の暈によって人体の丸みを表現し、頰髯の表現では墨、白に加えて、朱の毛を混在させることで、より複雑で豊かな表現をめざす技巧がみとめられた。慈済院本、黄梅院では、頭のそり跡を点描で表すなど精密、精細な描写がみられるものの、線に頼る説明的な表現の傾向がみとめられた。以上の検討から、同じ紙形の共有関係が認められたが、暈の入れ方などに注目すると慈済院本、黄梅院本はより近い関係が認められ、妙智院本の表現はやや距離があるようにみえる。3 初期夢窓疎石頂相における妙智院本の特異性について多様な暈の技法を駆使する無等周位とはどのような画家なのであろうか。筆者である無等周位は夢窓派の系図にも「位侍者」として名がみえ(注10)、夢窓に近侍した画僧で、西芳寺の壁画や十牛図巻なども手がけていたことが知られている。美術史学― 249 ―― 249 ―

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