り入れた作例として、奈良・大安寺十一面観音像および聖観音像、岐阜・美江寺十一面観音像、大阪・道明寺十一面観音像(試みの観音)が挙げられる。このうち、道明寺像の胸飾には玉繋帯はないが、紐二条と列弁文からなる基本帯、3個の基本帯飾りがある。その下に唐草、唐草と唐草の間を副帯がつなぎ、副帯からは垂飾がさがる。唐草の形状は異なるが、現在は摩耗して形状が不明瞭になった薬師寺像の胸飾を復元的に考える材料になると思われる。また、臂釧には木瓜形の菊座をつける。木瓜形は8世紀後半にもたらされた意匠のひとつで、唐招提寺木彫群にもみられる。また、胸飾には別材が充填されており、同様に胸飾に別材の珠をはめ込んでいた可能性が指摘されている作例として道明寺十一面観音像(本尊)が挙げられる。〈髻・垂髪〉薬師寺像の肩にかかる長い頭髪の類例として、奈良・東大寺八角灯籠に浮彫であらわされた音声菩薩像が指摘されているが(注11)、滋賀・向源寺十一面観音像との類似がより濃く、本面および頭上面の髻を大きくあらわす点も向源寺像に近い(注12)。8世紀後半の乾漆を用いた頭髪の表現は、毛筋の一本一本を丁寧に彫り、毛束は控えめにあらわす傾向にある。薬師寺像は現状素地仕上げで乾漆は用いていないが、香川・願興寺菩薩像や奈良・唐招提寺金堂梵天像の後頭部にみられるように、毛束はごく控えめあらわす。また、願興寺像や唐招提寺像など8世紀後半の髻は、やや前傾する傾向があるのに対して、9世紀の髻は、京都・教王護国寺金剛業菩薩像や大阪・観心寺如意輪観音像、向源寺像のように垂直に立つ形が主流であり、薬師寺像の頭上面の髻は9世紀以降のものにより近い形状である。また、鬢髪には大きく分けて2つの形式がある。すなわち薬師寺像のように耳前に短く垂下する形式と、教王護国寺金剛業菩薩像のように束ねて耳半ばをわたる形式である。鬢髪が耳をわたる形式は、7~8世紀初頭にかけての小金銅仏の菩薩像に数多く見出されるが、8世紀の乾漆像や木彫像ではほとんど見られなくなる。しかし9世紀に入ると、再び鬢髪を束ねて耳をわたる形式があらわれる。〈衣文表現〉薬師寺像と衣文表現が類似する作例として、かねてより与楽寺像が指摘されている。下半身にまとった裙は、大腿部に密着し、膝頭まで衣文をあらわさず、膝下にのみU字形の曲線を連ねる。さらに、大腿部の中心を流れる衣文線とは別に、短い弧線を左右にあらわす。与楽寺像は右膝をゆるめて立つため、左右対称とはならない点が薬師寺像とは異なる。一方で宝慶寺石仏群のなかの十一面観音像は薬師寺像とより衣― 259 ―― 259 ―
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