鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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① 松田誠一郎「菩薩像、神将像の意匠形式の展開」『東大寺と平城京』(日本美術全集4)、講② 同「大阪・道明寺十一面観音像(伝試みの観音)について(上)」『MUSEUM』448、1988年、③ 同「大阪・道明寺十一面観音像(伝試みの観音)について(下)」『MUSEUM』449、1988年、② 同「東京国立博物館保管十一面観音像(多武峯伝来)について(下)」『国華』1119、1988年、③ 井上一稔「十一面観音像の表現─日本における展開を中心として─」『シルクロード学④ 塚本麻衣子「向源寺十一面観音像の頭上面図像について─平安時代初期観音信仰に関する彫像が伝わる。カヤの一材から彫出し、檀像系木彫に分類され、ときに拡大代用檀像とも呼ばれる。しかし、唐製檀像と同じく中国の工人の手になると考えられるにも関わらず、装飾性はまったくないと言ってよい。一方で、奈良・法隆寺如意輪観音像(唐・8~9世紀、像高17.9cm)では、宝冠やその他の装身具が見事に彫出されており、唐製の小檀像は尊格を問わず細緻な彫刻がなされたと考えられる。よって唐製檀像では、小像であること、そして小像に細密な彫刻を施すことが重要視されていたのではないだろうか。また、唐招提寺には、神福寺像のような将来檀像を写し、拡大したと考えられている十一面観音像(像高166.3cm)が伝わる。神福寺像と唐招提寺十一面観音像は、小像に細密な彫刻を施す唐製檀像と、巨大化させ且つ細密な彫刻を行わない日本製代用檀像の傾向と関係を端的にしめす作例である。日本で檀像をなぜ巨大化させたのかは不明であり、且つ日本においては小檀像から小檀像を写すという意識がどこまで持たれていたのか、という疑問も生じる。その上で、与楽寺像の制作地が中国・唐かわが国の奈良時代かを考えるならば、「一搩手半」という十一面観音の造像の規定を遵守し、且つ細密な彫技がみられる与楽寺像は唐製であると考えるのが妥当であろう。⑹平成30年(2018)6月7日、岩田茂樹・岩井共二・山口隆介の各氏(以上、奈良国立博物館)の立ち合いのもと、藤岡穣氏(大阪大学大学院)とともに調査および撮影を行った。調査にあたっては、王珏人・石光由樹子の各氏(以上、大阪大学)、奥野早輝子氏(神戸大学)の助力を得た。⑺像底からの観察によれば、体幹部と右腕の木目はつながるため同材である。一方で、右手首以下は木目が異なるため別材とわかるが、後補か否かは一考を要する。⑻一材製の水瓶および左手首先は、手首にて矧いでおり、且つ左右矧ぎ。水瓶と左手首先の表面は滑らかで、当初部分とは質感が異なるが、後補か否かは一考を要する。⑼現状、両足先は別材製後補。足の甲にかかる裙裾の摩滅が著しいことから、長らく足先が失われた状態にあったと想像される。また、裙の内側は丁寧に刳り上げられているため、当初より蓮肉共木ではなかった可能性が高い。⑽胸飾と臂釧の形式に関しては、下記の文献を参照した。談社、1990年、181-188頁4-18頁27-34頁⑾前掲論文、注⑶③。⑿藤岡前掲論文、注⑴①。⒀藤岡前掲論文、注⑴①。⒁① 松田誠一郎「東京国立博物館保管十一面観音像(多武峯伝来)について(上)」『国華』1118、1988年、7-23頁32-48頁研究』11、2001年、137-148頁― 264 ―― 264 ―

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