鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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BBBB㉓と㉚の画面を比べると、㉓の方が、高さが約45mm、幅が約32mm小さい。㉓の《垣手鞠図》の右の引手付近に、かつて15mm程外側に引手が取り付けられていた痕跡があり、㉓の中央での2面間の図様の繋がりが不自然なことから、当初の画面が切り詰められていると判断できる。一方、㉚も図様の繋がり具合から、2面の中央で框の幅程の画面があったと考えられる。㉚の画面幅は790mm、框の幅は約62mmであることから、一面の画面幅が約1642mmの杉戸絵2面ということになる。ところが、《垣手毬図/柳鷺図》は、《柳図/躑躅小禽図》と同じく、一致する画題が江戸期資料には記載されていないため、当初位置の推定が困難である。また、この画面幅の杉戸絵に合う廊下幅は現状存在しないため、改修時に撤去された建物に付属していた可能性を指摘するに止める〔図6〕〔図7〕(注28)。なお、㉚は戸袋前であり元来杉戸は無い。同様に元来杉戸が無いのは、当初は外壁沿いであった㉕と、戸袋前の㊴であるが、㊴北の《松尾長鳥図》は、画面が切り詰められているが、従来、現状位置㉗北の《松椿頬白図》と一続きの画面であることが判明した〔図8、9〕。「縮図」でも、図様の続くことが一目で分かるように、隣同士に配置されていることが確認できた〔図10〕。要するに4面一続きの画面であったわけだが、《松尾長鳥図》の裏面は《小手毬図》、《松椿頬白図》の裏面は《桃花鸚哥図》であり、裏面では画面が連続しない。片面が連続し、その裏面が連続しないのは、式台と大広間の接続部などで見られるように(⑦と⑧、⑧と⑫等)、2面ずつが直角に交わる位置に配置されていたことを示す。《桃花鸚哥図/松椿頬白図》の現状位置㉗の西側で直角に交わる㉖は、寛永当初は黒書院へ通じる廊下との接続部であり、「指図(歴)」に「杉戸二」と記されている。現状位置㉗の杉戸絵の表裏を返して《椿図》が南側になるように置き、切り詰められた部分を補った《松尾長鳥図》を㉖東として置けば、白書院側に4面連続する画面が成立する。これらと反対に、元来杉戸絵があった位置で現在は無いのが、〔図1〕の 、 、 である(注29)。先に当初位置が不明な杉戸絵が二組出たが、 については、画題11や様式の点から当てはまらない。 については、「指図(歴)」では㉝に建具の表示がないので、元来は、㉞と で一続きの画面を構成していたとすると、図様の繋がりから、現状位置㉝《林檎図/杜若図》が㉞に、㉞《渓流水禽花梨図/林檎図》が に位置することになるが、高さの点から否定される。大きさが合い、かつ江戸期資料に画題が記載されないのは、現状位置㉔《柳図/躑躅小禽図》と㉛《枯木鳩図》である。この二つのいずれかの当初位置が で、もう一方が㉛であった可能性を指摘するに止める。― 272 ―― 272 ―AAAB

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