鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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32)。ここでは、杉戸絵における山楽の関与について考察する。また、江戸期の資料間で、位置は同一でも向きが一致しないものが複数ある。当初の向きは、掛金具から判断できる。通常、掛金具は御殿の出入口に対して奥側に付けられるので、現状位置㊵《梔子鶺鴒図/透垣桜図》と、現状位置④《手鞠豆鳥四十雀図/芦雁図》は、現状と表裏逆と見るべきである(注30)。この結果、隣り合う④西と③北は、手鞠という画題を同じくすることになる。資料間で不一致があるが、取り上げなかった所は、当面現状位置を否定する積極的な理由が無いものである(注31)。但し、現状位置⑥《桜小禽図/枯木山荒図》については、掛金具の痕跡が不自然なこと、框に足し木があること等から、 との関連も含めなお検討を要する。3 筆者問題近年までに、式台の間、大広間四の間について山楽筆者説が提出されている(注まず、式台の間前に位置する《唐獅子図》(〔図1〕⑤西)については、土居氏は甚之丞筆とされているが、鬼原俊枝氏は山楽説を採られている。ここでは鬼原氏の説に補足して、唐獅子の足爪の形が、山楽筆の一連の唐獅子とは別種の描き方であるが、山楽筆《龍虎図屏風》(妙心寺蔵)の虎とは近しい関係にあること、また、向かって左の唐獅子の顔貌は咆哮する口の形を中心に、山楽筆《桐峯虎声図》の虎と似ていることを指摘しておく。大広間四の間《松鷹図》と類似の画題である《松鷲図》杉戸絵については、松の枝の形態等から、先行研究の言う探幽筆で異論ないが、この杉戸絵と《松鷹図》との比較により、四の間筆者を探幽とする説がある(注33)。しかし、以下に見るように、両者の筆者は異なることが明らかである。四の間の南側に描かれる鷹と杉戸絵の鷲は似たポーズをとるが、羽の形態と向かって右の脚部が異なる。鷹の脚は長く、付け根から爪に向かう脚の線が途中でやや括れるように抑揚があるのに対し、鷲の脚は短く、付け根から爪へと向かう線が単純な弧に近く抑揚もない〔図11〕。また、杉戸絵の鷲と四の間の鷲を比べると、頭頂から肩を覆う羽の一枚一枚の形が、前者に比べて後者は大きくなり単純化され、羽の広がり方も、前者が柔らかく末広がりになっているのに対し、後者は同一方向に向かっている。描線も、前者は適宜肥痩を付け、柔軟ながらも張りがあるのに対し、後者は、比較的均質で、硬質な強い線である。前者の熟練の線に加え、目や足爪の表し方が猛禽を描く他の山楽作品と共通することから、四の間山楽説が補強できるものと考える。― 273 ―― 273 ―AA

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