鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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弘化年間再建の江戸城本丸御殿下絵でも、黒書院の北入側に見られる。東京国立博物館編『江戸城障壁画の下絵:調査研究報告書 江戸城本丸等障壁画絵様』(第一法規出版、1989、本文篇134頁、図版篇48頁) 土居1974 注⑴ 京都大学附属図書館所蔵の「二ノ丸御殿図」の中に、寛永当初の御殿配置を江戸後期に写したとみられるものが含まれる(ID:RB00021685)。この図面では、黒書院牡丹の間に接続していた伺候之間の入側に「杉戸二」と記されている。画題や廊下幅の面からこの場所であった可能性もある。 「指図(歴)」 ㊵は全資料が現状位置と表裏逆で記録している。㉒と④は掛金具の一方が一時裏面に付けられ 大広間《柳鷺図/紅葉図》⑯は江戸期の資料に記録がないが、南側の《柳鷺図》(〔図1〕⑯南)は、左側で直角に交わる《柳鷺図》(〔図1〕⑮東)と画面が連続するため、当初位置が現状位置と判断できる。 川本桂子『友松・山楽』新編名宝日本の美術21(小学館、1991、165~166頁)、鬼原俊枝『幽微の探求:狩野探幽論』(大阪大学出版会、1998、69頁)、野田麻美編『徳川の平和─年の美と叡智─』(静岡県立美術館、2016、182頁) 武田1974 注⑴、鬼原1998、66~75頁 注 鬼原1998、72頁 注 鬼原1998、69~70頁 注ていたことを示す痕跡が向かって左側の面にのみ残っている。― 276 ―― 276 ―

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