鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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III イマーム・ムーサー・カーズィム廟に対する宗教的寄進の意義《ドーハ燭台》の制作・寄進時期が絞られたところでまず、イマーム・ムーサー・カーズィム廟の位置するカーズィマインを始めとするイラクの十二イマーム・シーア派聖地(注22)が1600年前後に置かれていた政治的状況について言及する必要があるだろう。イラクは近世(16-18世紀)において、実に、サファヴィー朝と西側の国境で隣接するスンナ派王朝であるオスマン朝との係争地であった。こと1508年から1638年に関して言えば、同地域は3度、支配王朝の交代を経験し、この間、イラクがサファヴィー朝の支配下にあったのは1508年から1534年までと1623年から1638年までの間の約35年間に過ぎない(注23)。したがって、《ドーハ燭台》がイマーム・ムーサー・カーズィム廟に寄進されたと推定される時期においてイラクは、十二イマーム・シーア派を国教とするサファヴィー朝の支配下にはなく、初代イマームであるアリーの血統に連なる歴代イマームたちに特段の宗教的・優位性を認めない立場を取るスンナ派のオスマン朝の支配下にあった可能性が高いと考えられる。[ヒジュラ暦]1007年[=1598-99年]。《サザビーズ燭台》の宗教的寄進銘文からは、当該燭台の発注先の工房の所在した都市(=制作地)の特定に結びつくような情報を得ることはできない(注19)。だが装飾モチーフに動物像が用いられていることから、イラン製と見て間違いないだろう(注20)。現在のところ、寄進者の特定には至っていないものの、そのニスバ(由来名)から彼は、イラン西部の都市ニハーヴァンドに所縁のある一族の出であり、かつ、イラン中部のカーシャーンでワズィールのポストに就いている人物であったことが読み取れる(注21)。つまり、《サザビーズ燭台》は、サファヴィー朝下のカーシャーン(イラン444中部)に拠点を置く地方官吏の発注により、1598-99年に制作され、イラク444の十二イマーム・シーア派聖者廟のうちの一つであるカーズィマインのイマーム・ムーサー・カーズィム廟に寄進された作例なのである。以上の考察から、《ドーハ燭台》の制作時期は、1600年頃、それがイマーム・ムーサー・カーズィム廟に寄進されたのは、制作と同時期もしくはそれよりも以降であると結論付けることができる。近年のイスラーム美術史研究における聖者廟への参詣ないし寄進の文化とそれらに付随する美術工芸品・建築物に対する相対的な関心の高さには目を見張るものがある(注24)。しかしながら、こと近世におけるサファヴィー朝領内からイラクの十二イ― 17 ―― 17 ―

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