鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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「四天王寺・住吉大社図屏風」に描かれる華やかな祭礼行列や住吉浜にやって来る参詣の船は見られない。加えて、「四天王寺・住吉大社図屏風」は寺社を俯瞰する視点の方角はそれぞれの隻で異なるのに対し(注7)、本屏風の場合は西に視点が固定され、堂宇の向きも実際の方角に即している。そのためか、諸堂を描く斜線の向きが、右上から左下に傾斜する順勝手と、左上から右下に傾斜する逆勝手、両方が混在する(注8)。住吉大社には逆勝手、四天王寺には順勝手の方向性が与えられているのである。次いで第7扇、第8扇は、上部には生國魂神社と寺町周辺が、住吉大社や四天王寺と同様西からの視点で描かれている。俯瞰する方角は第6扇までと同様だが、筋勝手は逆勝手で、松林と金雲に隔てられた四天王寺とは方向が異なる。画面中段には郊外の農耕風景、下部には道頓堀の景観が配される。道頓堀界隈を捉える視点は左隻と同じく北に設定されており、画面中段から視点のねじれが生じている。しかし、道頓堀は視点設定こそ左隻と共通するものの、こちらも筋勝手は逆勝手であり、隻全体が順勝手で描かれる左隻とは一致しない。このように右隻の景観を捉える視点はねじれ、筋勝手も場所ごとに異なっており、画面からはやや雑然とした印象を受ける。これは、従来左右の隻に描かれていた住吉大社と四天王寺を同一画面内に収めるため、さらにいわゆる悪所として都市の周縁に位置しながらも、元禄期には大坂を代表する名所として外すことができないほどの活況を呈していた道頓堀の景観を入れ込み、これらすべてを同一隻に収めるための試行錯誤の結果であると考えられよう。それぞれの景観同士の間に存在する実際の距離は金雲や松林で処理し、それゆえに名所のコラージュ的な印象も受けるが、例えば道頓堀を捉える視点はのちの『摂津名所図会』(寛政10年(1798)刊)の芝居小屋を描く視点とも共通しており、名所を最も分かり易い形で見せる視点設定が、それぞれの場に対して試みられている。視点のねじれや筋勝手の方向の混在はそれゆえに生じたものと考えられ、こうした混乱は右隻の画面構成の初発性の高さを示すものと言えるだろう(注9)。3 左隻の画面構成北からの視点で描かれる左隻は画面を横断する土佐堀川と、そこに架かる数多の橋に大きくスペースを充てる。右隻で主に空間の省略に用いられた金雲は、左隻では空間を覆い隠す役割を果たしている。例えば第1扇から第3扇上段や第4扇から第5扇にかけての中之島の武家地は金雲で覆われ、その様子はうかがえない。特に第1扇か― 283 ―― 283 ―

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