鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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⑽ 高橋隆博編『新発見 豊臣期大坂図屏風』清文堂、2010年、82頁⑾ 初期洛中洛外図に関する議論の中で、逆勝手の歴博甲本から順勝手の上杉本への勝手変更をめぐり、画面に収まる景観範囲が勝手の向きに影響を受けることが確認されている(辻惟雄『日本の美術 第121号 洛中洛外図』、至文堂、1976年、53頁)。また、勝手選択には主題や制作意図が反映されることも指摘されている(高橋康夫「初期洛中洛外図屏風の絵画史料論的再検討」『国華』1105号、1987年)。⑿ 行列の表象やその政治性については、黒田日出男、ロナルド・トビ編『行列と見世物』朝日新聞社、1994年および久留島浩編『描かれた行列─武士・異国・祭礼─』東京大学出版会、2015年を参照。図版出典図1、2、5   『大阪の歴史と文化財』4、大阪市文化財協会、1999年図3、4、6~8 筆者撮影附記作品調査に際し、湯木美術館学芸員の伊藤瞳氏に多大なるご協力を賜りました。記して御礼申し上げます。し、現存しない右隻には四天王寺から住吉大社が描かれていた可能性を提示する(脇坂淳「大坂を描く諸屏風の脈絡」『大阪市立美術館紀要』6、1986年)。すなわち、「浪華名所図屏風」以前に、左隻に大坂城下、右隻に四天王寺と住吉大社を配する先行作例が存在した可能性があるが、道頓堀を都市風俗図の画面にどう組み込むかという問題意識は、道頓堀の芝居地の発展なくしては起こり得ないものだろう。― 287 ―― 287 ―

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