鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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㉗ ピーテル・ブリューゲル(父)作《死の勝利》─コピー作品に基づく考察─研 究 者:九州大学大学院 人文科学府 博士後期課程  香 月 比 呂はじめに16世紀ネーデルラントの画家ピーテル・ブリューゲル(父)〔c1525-1569年〕(以下、ピーテル1世)の描いた《死の勝利》(c1562年;マドリード、プラド美術館蔵)〔図1〕は、褐色の荒野で繰り広げられる生者と死との壮絶な闘争を描いた作品である(注1)。本研究はこの《死の勝利》について、ピーテル1世の死後、彼の2人の息子たちによって制作されたコピー作品の分析を通して考察をおこなうものである。ピーテル1世の息子ピーテル・ブリューゲル〔1564/65-1637/38年〕(以下、ピーテル2世)とヤン・ブリューゲル〔1568-1625年〕は、幼くして父を亡くしたものの、母方の祖母マイケン・ヴェルフルストに絵の手ほどきを受け(注2)、ともに長じて画家となった(注3)。長男ピーテル2世は、自ら構えた工房で助手たちとともに大量の父作品のコピーを制作したことで知られている(注4)。一方、次男のヤンは精緻な風景画や花々の絵に才能を発揮し、ミラノ司教でもあったフェデリーコ・ボッローメオ枢機卿ら有力者のもとで仕事をしたが、やはり少数ながら父作品のコピーを制作している(注5)。ブリューゲル一族研究の権威であるクラウス・エルツ氏のカタログによると《死の勝利》のコピーは、所在不明のものも含め、現在6点が確認されている(注6)。その内、本稿では次の3点について取り扱う。・ヤン・ブリューゲル作《死の勝利》1597年 グラーツ、ヨハンネウム州立美術館蔵(以下、グラーツ版)〔図2〕・ピーテル・ブリューゲル2世と工房作《死の勝利》1608年 バーゼル、市立美術館蔵(以下、バーゼル版)〔図3〕・ピーテル・ブリューゲル2世作《死の勝利》 1626年 クリーブランド、ミルドレッド・アンドリューズ基金旧蔵(以下、旧クリーブランド版)〔図4〕(注7)19世紀末以降、ピーテル1世についての研究が進み、その作品が再評価されるようになった一方(注8)、彼の2人の息子たち、とりわけピーテル2世とその工房によって制作された大量のコピーは、創造性に乏しい複製品として長らく等閑視される傾向にあった。しかし、1997年から1998年にかけてヨーロッパ3都市で開催された― 291 ―― 291 ―

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