亡くなった1625年の時点では、彼のコピーが彼自身の手元に残されていたと考えられることから、ピーテル2世が弟ヤンのコピーを目にした可能性は十分にあり得るのである(注16)。ピーテル2世が生涯を通じて父作品のコピーを制作し続けたのに対し、ヤンは若い内にコピーの制作をやめ、独自の画風を確立した。《死の勝利》はそんな両者がそれぞれにコピーを制作したという点においても興味深い事例である。今後はコピー制作における兄弟の関わりについても考慮しながら、ピーテル1世の作品制作のプロセスに迫りたい(注17)。2.コピー作品における意図的な改変さて、ピーテル・ブリューゲル1世の《死の勝利》と2人の息子たちによる本作品のコピーとを比較したとき、前景右側の祝宴のテーブルの周辺に集まる人々の衣装に、コピーの制作にあたり兄弟が参照したカルトンないしモデッロなどの手本に拠るものではない、意図的ともいえる改変がおこなわれていることはすでに述べた。白いクロスのかかったテーブルでは、突然の「死」との遭遇によって、今まさに祝宴が中断されたところである。その混乱の只中にあって、最前景のリュートを奏でる若い男女は、画面の中で唯一「死」の存在に気付いていないという点でも印象的なモチーフである。本稿では1597年にヤン・ブリューゲルによって制作されたグラーツ版の《死の勝利》に着目し、ピーテル1世のオリジナル作品との比較から、この場面にあえて改変を施した画家の意図を探りたい。各作品のモチーフを見ていこう。まず、ピーテル1世のオリジナル作品では、青いドレスの女が両膝を立てて地面に座り、男に楽譜を見せるように上体を傾けている〔図1-a〕。大きく開いたドレスの首元は、金色のラインで縁取られた薄く透ける生地で飾られており、袖にはスラッシュと呼ばれる裂け目状の装飾が入っている。このような衣装のデザインは、同時期にネーデルラント地方で描かれた絵画や流通した版画作品にも多く見られるものである。一方、リュートを抱えた男は女の両膝の間に膝を揃えて座り、上体をひねって女の方を振り返っている。そして丸首の白い下着の上から、ビロードを思わせる深紅の上着を羽織り、やはりスラッシュで飾られたショースを履いている。一方、ヤンのグラーツ版《死の勝利》における衣装は大きく変更されている〔図2-a〕。女のドレスは扇形の白いレースの襟飾りが特徴的で、袖は緑色、身頃とスカート部分は黄色に色分けされている。金色の巻き毛には帽子の代わりに髪飾りが付けら― 294 ―― 294 ―
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