鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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れ、身体を画面向かって右側に向けて座っている。女と同じく白いレースの襟のついた上着を身につけた男は、左肘を女の膝にかけて両足を軽く交差させたくつろいだ姿勢をとっている。すでに述べた通り、1626年に制作されたピーテル2世の旧クリーブランド版の男女の衣装は、オリジナル作品のものによく似ていることから、2人の息子たちが本作品のコピーを制作する上で依拠したカルトンないしモデッロは、オリジナル作品に描かれた恋人たちの姿を比較的正確に伝えるものであったと考えられる。それに対し、グラーツ版において男女が身に着けている衣装は、オリジナル作品が描かれた16世紀半ばにはまだ一般的でなく、特に扇形をしたレースの襟が特徴的な女のドレスは、16世紀末から17世紀にかけて、ヴェネツィアの裕福な女性たちの間で流行したものであると考えられる(注18)。つまり、ヤンはオリジナルの《死の勝利》に描かれた男女の衣装がどのようなものであったかを知っていたにもかかわらず、あえてその衣装をコピー制作当時のものへとアップデートしたということになる。コピーの制作された16世紀末、往年の著名画家として広く認知されていたピーテル1世作品の希少価値はますます高まっていた。そんなピーテル1世作品のコピーを制作するにあたり、描かれた時代が明確に表れる衣装を改変することには、コピーとしての価値を下げる危険性が伴ったはずである(注19)。とするならば、ヤンが「正確なコピーを制作する」ことよりも、男女のモチーフを当世風にアップデートすることを優先した理由、目的とは何だったのだろうか。3.黄色いドレスの女・《死の勝利》以前の作品ヤンが《死の勝利》のモチーフを当世風に描き変えた目的について考察するにあたり、グラーツ版の制作と前後する時期にヤンが描いた他の作品に、コピーに描かれた女と近似する当世風のドレスを着た女のモチーフがしばしば登場することに注目したい。というのも、グラーツ版に描かれた女のモチーフと、その他の作品に描かれた女のモチーフとの間には、単なる類似にとどまらない重要な関係、すなわち構図において果たしている機能に共通性があるように思われるからである。黄色いドレスの女が描かれた最も早い時期の作例として、まず、本コピー制作前の1594年に描かれた《ボートに乗る人々のいる川辺の風景》〔図5〕が挙げられる。この銅板に描かれた円形の小品では、人々がボート遊びに興じる川のほとりに、扇形の襟のついた黄色いドレスを身に着けた女が、3人の男女とともに佇んでいる。彼女の― 295 ―― 295 ―

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