注⑴ 図2-a→図3-a→図2-b→図3-b→図2-c→図3-c→図2-d→図3-dの順番で時計回りに配置されてい謝辞⑵ 図4-a→図5-a→図4-b→図5-b→図4-c→図5-c→図4-d→図5-dの順番で時計回りに配置されてい金されたランプ、トーチ・スタンド、そして燭台がある」と述べている(注32)。この記述と、先に述べたサファヴィー朝の歴代君主達とその領民達にとってのムーサー・カーズィムの重要性とを勘案すると、サファヴィー朝下のイランから国境を越えてイラクの彼の廟に宗教的寄進された《ドーハ燭台》は、決して例外的な作例ではなかったのではないか、という推察に行き着くのである。Ⅳ 結語本稿では、《ドーハ燭台》の表側の図像および裏側の銘文を他の作例と比較することにより、その制作時期を1600年頃、寄進時期を制作と同時期もしくはそれよりも以降であると導き出した。その上で、寄進先の廟で奉祀されているムーサー・カーズィムが、サファヴィー朝の歴代君主達とその領民達にとって、12人のイマーム達の中でもとりわけ崇敬に値する人物であったことを指摘し、王朝の境界を越えての宗教的寄進が行われた宗教的・政治的背景を明らかにした。今後、稿を改めて検討すべき課題としては、《ドーハ燭台》の表側の「蛾と蝋燭」の寓意を主題としたペルシア語詩銘文と、その使用が意図された場(=イマーム・ムーサー・カーズィム廟)との関係についての問題や、そのような宗教的な場における動物像やペルシア語詩の使用についての問題が挙げられる。本稿ではまず、これらの問題に取り組むための前提条件を整えることを企図した。本研究の成果の一部は、2018年度東文研セミナー「サファヴィー朝工芸史研究のいま」(2018年12月14日、於東京大学東洋文化研究所3階大会議室)において公表した。ドーハ・イスラーム美術館における調査にあたっては、Dr. Marika Sardar Nicksonをはじめ、多くの関係者にご協力いただいた。また、銘文の解釈にあたっては森本一夫教授とDr. Marjan Shokouhi、本稿執筆の過程では、桝屋友子教授から多くの有益なご助言をいただいた。最後に、本研究は秋山聰教授のご推薦なしには遂行し得ないものであった。ここに感謝の意を示したい。る。― 19 ―― 19 ―
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