鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
317/643

㉘ 京都・禅林寺蔵「山越阿弥陀図」と来迎する持幡童子に関する研究研 究 者:高岡市美術館 学芸員  鈴 木 雅 子はじめに浄土教美術においても破格の様式と秀逸な山水表現等を誇る「山越阿弥陀図」は、これまで多くの研究者が関心を寄せ、分野を問わず多方面から論考が重ねられてきた。中でも、阿字や四天王、持幡童子といった特異な図像から成る京都・禅林寺蔵国宝「山越阿弥陀図」(以下、禅林寺本)〔図1〕については、恵心流念仏の影響を受けた興教大師覚鑁の密教教義に基づくことを解明した中野玄三氏(注1)によって確固とした研究基盤が築かれることとなった。さらに近年でも、禅林寺本を含む山越阿弥陀図の研究は活況を失っておらず、発表される論考は陸続している。禅林寺本に関しては、通説となった中野説における制作年代・需要者ともに批判的に検証する高間氏(注2)や、天台本覚思想に視座を据えて中野説に反論する辻本氏の論考(注3)が最新の研究報告として挙げられ、新たな視点での読解が求められてきているといえる。しかしながら、禅林寺本を読み解く重要なカギとなるであろう持幡童子〔図2〕と四天王の図像に関しては、純然たる浄土思想とは異なる思想に由来するとして注目されてきたものの、未だ十分な検証が行われていない感がある。来迎図に表される持幡童子に関しては近年、『法華経』に説示される「天諸童子(以下、天童)」に淵源を求め、その装束から真言の伝法灌頂や法華経如法経供養、迎講といった仏教儀礼において活躍する童子と結びつける説が複数の研究者によって提唱、支持されている(注4)が、禅林寺本の諸図像や思想とも符合させる包括的解釈には至っていないと言える。筆者は、禅林寺本をはじめ仏教絵画にこうした持幡童子が採用される理由を解明するには、『法華経』由来の天童にとどまらず、さらにその根源的イメージを遡求する必要性を感じ、四天王のうち広目天の像容(筆と巻子を持つ)への着眼を端緒として、『仏説四天王経』(以下『四天王経』)に説く、六斎日の各日に天から現世に降下して衆生の持戒を監察検分する案行尊のうち、四天王と善悪童子に仮託できる可能性を考察したことがある(注5)。すなわち、禅林寺本は上代仏教の主潮をなしていた滅罪信仰の残影を留め、その実質的機能を表す図であり、恵心流念仏以降も古代の滅罪思想が浄土信仰の伏流であった証左となり得る作例とみている。そこで、本稿では禅林寺本の解明をさらに深めることを目的としつつ、持幡童子が単なる表象たる「天童」としてのみ理解されたのではなく、善悪童子などの潜在的イメージが読み取られ― 305 ―― 305 ―

元のページ  ../index.html#317

このブックを見る