る。⑶このようなモチーフが最も早く金属製燭台の銘文として採用されたのは13世紀半ばのことである。例えば、ベルリン・イスラーム美術館の所蔵する真鍮製燭台(所蔵番号:I. 3577)などが最初期の作例として挙げられる。⑷厳密に言えば、イマーム・ムーサー・カーズィムに対する祈願文「彼ノ上ニ平安ガアリマスヨウニ alayhi al-salām」の省略形である「彼ノ上ニ alayhi」の一語のみについては、アラビア語である。⑸「無闇に欲する者がam-kunandah...」から開始されている一文は、この燭台が寄進先のイマーム・ムーサー・カーズィム廟から盗まれ、所蔵者が変わるのを防ぐことを目的とした呪詛の文言である。なお、《ドーハ燭台》のHumayzi Collectionへの流出経緯は不明である。⑹十二イマーム・シーア派の教義では、874年に現世から姿を消したムハンマド・マフディーが、やがて救世主として再臨しこの世を正義で満たす、と考えられている。⑺最も有名な事例としては、サファヴィー朝第5代君主アッバース1世(在位1588-1621年)による、サファヴィー教団の創始者であるサフィー・アッ=ディーン・イスハーク(1334年没)の廟(所在地:イラン、アルダビール)への中国陶磁器の寄進が挙げられる。⑻例えば、ブルジー・マムルーク朝(1382-1518年)の第21代スルターンであるカーイト・バーイ(在位1468-96年)は、ヒジュラ暦887/1482-83年に、メディナ(現サウジアラビア)の預言者ムハンマドの廟に真鍮製燭台(現在はカイロ・イスラーム美術館所蔵、所蔵番号:4297)を寄進したことで知られる。Atıl, Esin, Renaissance of Islam: Art of the Mamluks, Washington:Smithsonian Institution Press, 1981, pp. 100-01.⑼十二イマーム・シーア派第8代イマームにあたる、アリー・レザー(818年没)の廟である。⑽宗教的寄進制度においては、寄進された財産から得られる収益の運用方法は原則として寄進者に一任されている。例えばイマーム・レザー廟に関して言えば、しばしば寄進者たちは、廟で日常的に用いられる蝋燭や照明器具を、収益の使途として指定した。Morikawa, Tomoko, andChristoph Werner, Vestiges of the Razavi Shrine: Āthār Al-Rażavīya: a Catalogue of Endowments andDeeds to the Shrine of Imam Riza in Mashhad, Tokyo: Toyo Bunko, 2017, pp. 83-91, 127-28, 138-39,150, 174-75, 182-83, 186-97, 214-16, 233-34.⑾ここで絵画化されている燭台とは形状が異なるものの、実際にイマーム・レザー廟のために制作されたことが銘文から確実な真鍮製トーチ・スタンド(現在はアースターネ・ゴドセ・ラザヴィー財団所蔵)の存在が知られている。Shabīriyān, A. A., “Chand namūnah az nafāis-i Mūzah-yi Āstān-i Quds,” Nāmah-yi Āstān-i Quds 7 (3), 1967 (1346 A.P.), pp. 160-62.⑿イランにおいては、原因は不明であるが14世紀末もしくは15世紀初頭に、真鍮製品に動物像や人物像を線刻する伝統は突如として途絶え、その後2世紀近くそれが復活することはなかった。Ivanov, Anatoly, Mednye i bronzovye (latunnye) izdeliia Irana vtoroi poloviny XIV-serediny XVIII veka,St. Petersburg: State Hermitage Museum, 2014, pp. 60-61.126.103.― 20 ―― 20 ―⒀Ivanov 2014, pp. 57-59.⒁Zebrowski, Mark, Gold, Silver & Bronze from Mughal India, London: Alexandria Press, 1997, p. 113, pl.⒂Canby, Sheila R., Shah Abbas: The Remaking of Iran, London: British Museum Press, 2009, p. 212, pl.⒃Sothebyʼs, Arts of the Islamic World: Including Fine Carpets and Textiles, London, 14th April 2010,
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