鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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ずる善悪吉凶について知り、右辺の童子は冥道のことを知るという。人の官録・年寿・吉凶などを知りたい際に右辺の童子に命じれば、司命及び閻魔に勅するということから、童子が冥府と通じる存在であることは看過しがたい。また、善無畏訳『七佛倶胝佛母心大准提陀羅尼法』では、鏡に向かって陀羅尼を唱えれば使者として「二聖者」が遣わされ、欲すれば四天王梵天帝釈、閻魔などが現れると説く。ここで、中野玄三氏が明らかにされた、禅林寺本の思想基盤にある覚鑁の阿字観に想到する。覚鑁『一期大要秘密集』では、阿字を念ずることによる滅罪を勧めているが、阿字(阿字月輪観)もまた冥府と密接に関連するものであった。中野氏は、中世、阿字が死と密接に関連していたことの証左として、鎌倉後期の奈良・金剛山寺蔵「矢田地蔵縁起」の、満米上人が阿字観を修していると思しき場に閻魔王が冥官を遣わして地獄に招く図などを紹介されている(注11)。また、冥府で活躍する童子といえば閻魔の傍らに控える一対の俱く生しょう神じんが知られる。筆者は、先述したように禅林寺本の持幡童子を『四天王経』の善悪童子と関連付けたが、善悪童子はこの俱生神と同一視される。その習合の過程を次に確認していきたい。4.俱生神と習合する善悪童子俱生神とは、人の誕生時に俱に生じてその身に取り憑き、その人の善悪の行為をすべて監察・記録して閻魔に報告する神のことである。俱生神の成立や展開については長尾佳代子氏の論考(注12)に依拠し、以下、略述に留める。もともとは単独の神であったが、『華厳経』の記述を典拠として、俱生神を双神(同生、同名)とみなす解釈が多くみられ、吉蔵(549-623)『無量寿経義疏』では、人の右肩にあり悪事を記録する女神を「同生」、人の左肩にあり善事を記録する男神を「同名」とし、この2神をあわせて「俱生神」と称するようになったという。俱生神に関する記載は他にも、義浄訳『薬師瑠璃光七仏本願功徳経』(七仏薬師経)、智顗『摩訶止観』(同名同生天とする)以下多数にみられる。さて、ここで留意すべきは、閻魔に奏上するのは俱生神であったが、『無量寿経義疏』では俱生神が記録した名籍を、四天王が月の六斎日に地獄(あるいは天帝も含まれるか)に奏上しており、『四天王経』との習合がうかがえる点である。さらに、俱生神を「天」や「神」と称する経典が多いようだが、澄観(738-839)『大方広仏華厳経隨疏演義鈔』では、「衆即同生同名者。謂左右肩童子。」(注13)と俱生神を「童子」と称している。このことから、8、9世紀にはすでに俱生神と『四天王経』における善悪童子とが同一視されている可能性が指摘できるのではないか(注― 308 ―― 308 ―

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