鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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注⑴ 中野玄三「山越阿弥陀図の仏教思想史的考察」『仏教芸術』44、仏教芸術学会、1960年初掲、⑵ 高間由香里「禅林寺所蔵山越阿弥陀図について」『史学研究』266、広島史学研究会、2009年。⑶ 辻本臣哉「禅林寺山越阿弥陀図─証空及び天台本覚思想の影響について─」『印度学仏教⑷ 津田徹英『日本の美術442 中世の童子形』至文堂、2003年。土谷恵「舞童・天童と持幡童─描かれた中世寺院の童たち─」『絵巻に中世を読む』藤原良章・五味文彦編、吉川弘文館、1995年。松原智美「極楽にいざなう童子たち─平安時代の往生伝を中心として─」『古代中世文学論考』第2集、古代中世文学論考刊行会編、新典社、2009年、その他。⑸ 拙稿「来迎阿弥陀と滅罪についての一試論」『フィロカリア』26、大阪大学大学院文学研究科芸術学・芸術史講座、2009年。なお、同様の見解は稲本氏によって示唆されたことがある(稲本泰生「神仏習合の論理と造像─インド・中国から日本へ」『神仏習合 かみとほとけが織りなす信仰と美』展図録、奈良国立博物館、2007年、232頁)。⑹ 松原氏、注⑷。⑺ 小山聡子『護法童子信仰の研究』自照社出版、2003年。⑻ 阿尾奢法については主に以下を参照した。小田悦代「阿尾奢法に関する一考察:像を用いる呪法と護法童子」『宗教民俗研究』21・22、日本宗教民俗学会、2011年。および、同氏「日本における「阿尾奢法」受容に関する一試論─予言の法から病気治療呪法へ─」『御影史学論集』40、御影史学研究会、2015年。⑼ ただしこの伝承を史実とすることに否定的見解もある(上野勝之「ヨリマシ加持の登場─そ話文学の上で、実に重層的なイメージを伴う尊格として姿を現すに至った。この背景には、道教思想の影響(注23)や、密教儀礼において霊的存在を憑依する現実の童子が活躍してきたことが指摘できる。このような童子の属性やその変遷、展開を勘案すれば、禅林寺本の持幡童子についても、『法華経』に由来し現実の儀礼で活躍する「天童」という認識にとどまらず、憑依する性質・本地を有する使者として理解されていた蓋然性は高いのではないか。以上の考察を以て、禅林寺本の持幡童子が、持戒を具足させたことによる滅罪を証明するために召請した「天から降臨する(あるいは冥府へ奏上する)善悪童子」のイメージが投影されていたとする試論の傍証としたい。しかしながら、以上の部分的な図像解釈を眼目とした研究では、滅罪信仰と主題「山越阿弥陀」との関連、阿字観や覚鑁の密教教理との符合までを十分に考証するに至っておらず、検討すべき事項は多い。今後は、独自の視点から制作環境や注文主、需要者など制作主体も含め、本図をより包括的に考証することを課題として残したい。それによって、浄土教美術に古代宗教の伏流や変容を探る意義を改めて示すことができ、浄土教美術研究の新たな方向性を示せるのではないかと考える。その他に再録。学研究』66(1)、日本印度学仏教学会、2017年。― 311 ―― 311 ―

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