鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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㉙ ティムール朝絵画における中国美術からの影響─アブド・アル・ハイー帰属の絵画作例と中国版画の関連性について─『サライ・アルバム』と『ディーツ・アルバム』研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程  本 間 美 紀はじめにペルシアのティムール朝(1370-1507年)期には、中国との積極的な外交や貿易を通じ、多くの文物が両国の間を行き交った(注1)。ティムール朝の諸都市から派遣された使節団の数は『明実録』や『明史』の記述によると70回以上に及ぶ(注2)。ティムールは明への遠征中に病死したが、シャー・ルフは明との友好的な関係を築いた。シャー・ルフを筆頭とする遣明使節団のうち、アミール・サイイド・アフマド・タルハンが貢いだ金毛の馬を気に入った永楽帝が、2人の馬丁とともにその馬を絵に描かせ、返礼品とともにその絵を送った記録が残されており(注3)、この絵は現在トプカプ宮殿図書館に所蔵される『サライ・アルバム』と称される4冊のアルバムのうちH. 2153, fol. 123b, fol. 150aとH. 2154, fols. 33b-34a〔図1〕に貼られた「馬と馬丁」の絵が関連作例と考えられている。永楽帝から贈られた中国絵画である「馬と馬丁」の関連作例が、複数現存する理由は、ペルシア画家による模写作例が含まれているからであり(もしくは全て模写の可能性もありうる)、同アルバムには「馬と馬丁」と同様に、原図は中国絵画と言える作例が多く残されている(注4)。『サライ・アルバム』には、中国から渡来したオリジナルの中国絵画と、ペルシア画家が模写した作例が混在している。これらのアルバムには総数で1000点以上ものペルシアの古書画やスケッチなどが収められ、その一部に中国関連の作例も収められるに過ぎない。しかし、原図が中国絵画に由来する作例を繰り返し模写していることから、ペルシア画家は中国由来の図像や様式を彼らなりに習得しつつ、伝統的なペルシア絵画を描いていたと言える。本稿では、『サライ・アルバム』に残されたペルシア画家の模写を例に、中国絵画との関連性を吟味したい。ティムール朝絵画における中国美術からの影響を論じる際、必ず言及される作例が『サライ・アルバム』と『ディーツ・アルバム』である。『サライ・アルバム』とは、トプカプ宮殿図書館所蔵の画冊のうち、所蔵番号がH. 2152, H. 2153, H. 2154, H. 2160の合計4冊を指す呼称で、H. 2154を除きアルバムそのものの制作年や制作者を記した奥付がない。また、収められた個々の書画の制作者も伝わっていない作例が多く、― 316 ―― 316 ―

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