鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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Canby 2009; Allan, James W., The Art and Architecture of Twelver Shiism: Iraq, Iran and the Indian 17世紀末に編纂されたサファヴィー朝の行政マニュアルである『諸王の規則 Dastūr al-Mulūk』によると、サファヴィー朝下においては、ワズィールの職位は、カーシャーンの他、ラール、シーラーズ、ジャフロム、ラシュト、マーザンダラーン、ヤズド、イスファハーンなどイラン各地に置かれた。Rafī Anārī, Mīrzā Muammad, Dastūr al-Mulūk: A Complete Edition of the Safavid Manual of Administration, edited by Nobuaki Kondo, Tokyo: Research Institute for Languages and Cultures of Asia and Africa, 2018, pp. 19, 178-79. ⒄ イマーム・ムーサー・カーズィムを形容している「精霊と人のイマーム imam al-jinn wa al-ins」ならびに彼に対する祈願文「神ノ祝福ガ彼ノ上ニアリマスヨウニ alawāt Allah alayhi」、そして年号の部分はアラビア語で書かれている。⒅ ここでの「犬 kalb」は、聖者廟に祀られている聖者、あるいは聖者廟そのものの支持者であることを示す語「下僕 bandah」同様の意味で使用されていると考えられる。なお、「この敷居の犬 kalb-i ān Āstān」という表現は、アッバース1世がイラク、ナジャフのイマーム・アリー廟に寄進した金糸・銀糸入り羊毛絨毯(17世紀初頭製)の銘文中にも見られる。Ağa-Oğlu, Mehmet, afawid Rugs and Textiles: The Collection of the Shrine of Imām Alī at Al-Najaf, New York: Columbia University Press, 1941, pp. 31-32, pls. III, V. ⒆ 金属製品に限らず、サファヴィー朝期の工芸品全般に当てはまる特徴として、作品の制作地特⒇ 16-17世紀には、アナトリアを中心とした地中海世界を支配したオスマン朝(c. 1300-1922年)やインドを支配したムガル朝(1526-1858年)下においても真鍮製燭台は制作されたが、今日に伝わるこれらの地域に比定される作例を検証する限り、総じて、像表現(動物像、人物像など)の装飾に欠く。16-17世紀インド製の真鍮製燭台についてはZebrowski 1997, pp. 111-19、同時期のアナトリア製の真鍮製燭台についてはAllan, James W., “Copper, Brass and Steel,” in Tulips, Arabesques and Turbans: Decorative Arts from the Ottoman Empire, edited by Yanni Petsopoulos (New York: Abbeville Press, 1982), pp. 33-43, col. pls. 22-33, 35-38, 40-42を見よ。 イラクには、十二イマーム・シーア派の思想において「無謬のイマーム」と見なされる12人の Matthee, Rudi, “The Safavid-Ottoman Frontier: Iraq-i Arab Seen by the Safavids,” International Journal of Turkish Studies 9 (1-2), 2003, p. 157. なお、1638年以降は、1918年に至るまでイラクは一貫してオスマン朝の支配下にあった。Sub-Continent, London: Azimuth Editions, 2012など。 総称して「アタバート」と呼ばれる。 守川知子『シーア派聖地参詣の研究』京都: 京都大学学術出版会、2007、pp. 36-44;163-70. Ağa-Oğlu 1941. McChesney, Robert, “Waqf and Public Policy: The Waqfs of Shah Abbas, 1011-1023/1602-1614,” Asian and African Studies 15 (2), 1981, pp. 172-73. サファヴィー朝最初期の歴史書として、Amīnī Hiravī, Amīr adr al-Dīn Ibrāhīm, Futūāt-i Shāhī: Tārīkh-i afavī az āghāz tā sāl-i 920 h.q., edited by Muammad Riżā Naīrī. Tihrān: Anjuman-i Āsār Va Mafākhir-i Farhangī, 2004, pp. 1-2が挙げられる。2010, p. 115, lot. 159. なお、Canby 2009とSothebyʼs 2010とでは、燭台が掲載されている向きが異なっている。定に結びつく情報の欠如を指摘することができよう。うち、7人ものイマーム達〔図8〕の廟(殉教地)や幽隠地が点在している〔図7〕。― 21 ―― 21 ―

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