Timurid Vision” と題して、『サライ・アルバム』や『ディーツ・アルバム』に残された作例から、当時の Kitābkhāna(宮廷書画院)での作品制作を論じる(注11)。Gonnella and Weis(2017)は、『ディーツ・アルバム』に関する論文集で、アルバムの概要や『サライ・アルバム』との関連性が論じられている(注12)。一方で、『サライ・アルバム』と『ディーツ・アルバム』以外には、ティムール朝絵画と中国美術の具体的な関わりを示す作例は現存しない。アルバムに残された中国(風)の絵画と、実際にペルシアの詩文学や歴史書を絵画化した、ペルシアの写本絵画に用いられる図様や様式とは乖離しており、ティムール朝絵画における中国美術からの影響がどのようなレベルで行われたかを証明することは難しいのも現状である。本稿では、『サライ・アルバム』と『ディーツ・アルバム』に貼られた、中国風の「戦闘図」模写を検討し、伝統的なペルシア写本絵画と中国美術の関連性を明らかにする契機としたい。アルバムに残された巨匠の模写本稿で取り上げる作例は、2点の戦闘図(220×253mm トプカプ宮殿図書館蔵、H.2153, fol. 87a、以下トプカプ本)〔図2〕(192×259mm ベルリン州立図書館蔵、Diez A, Fol. 71, p.65、以下ベルリン本)〔図3〕である。トプカプ本は、H. 2153のfol. 87aに他の5点の書画とともに貼られている。甲冑を身につけた2人の人物が、馬上で長槍を構えて対峙する姿勢をとり、背景は砂埃を表現したかのような雲で覆われている。ドイツ州立図書館本〔図3〕では、上部の槍が画面の途中で切れているが、2人の人物は同様の構えで、背景を同じような雲状の囲いで覆っている。左上に、タアリーク体のペルシア語の注記「巨匠アブド・アル・ハイーの作品を、僕であるマフムード・シャー・アル・ハイーヤームが写した(naql az qalam-i ustād ʻAbd al-ayy naqqāshkamtārin-i bandagān-i Muammad b. Mamūdshāh al-Khayyām.)」と記されており、アブド・アル・ハイーが描いた作品を模倣したことが伺える。ドイツ州立図書館本が、トプカプ本をもとに写したのか、または両者とも別の手本を写したのかはわからないが、模写した際にはアブド・アル・ハイーの描いた作品と捉えられたことが分かる。画家アブド・アル・ハイーについてベルリン本〔図3〕に登場する画家アブド・アル・ハイーは、14世紀後半から15世紀初頭にかけて活躍した画家で、はじめはジャラーイル朝に仕えていたが、ジャラー― 318 ―― 318 ―
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