鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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㉚ 日本を表象する女神図像の研究─近代日本の美術と「古代」─研 究 者:筑波大学 芸術系 准教授  林  みちこ1.はじめに本研究は、近代日本における「古代」の相対化を美術の領域から証明すること、特に国家を表象する女神像と古代神話の関係を読み解くことにより、明治政府が国家の擬人像を必要とした理由について考察するものである。国家の擬人像は西欧においてはギリシアのアテーナー、フランスのマリアンヌ、ドイツのゲルマニア、スイスのヘルヴェティアなど女神像で表されてきた。それらは現在でも国家表象として使用されている。日本にはこれらに相当する女神像はなく、女神以外でも国家を表象する擬人像は存在しない。しかし現在ではほとんど知る人がいないものの明治43年(1910)にロンドンで開催された日英博覧会のアイコンとして、賞状やメダルにブリタニアと並ぶ日本の女神が図像化された〔図1〕。この女神像については拙稿「1910年日英博覧会と「やまとひめ」─日本を表象する女神像の誕生とその背景─」(注1)で考察している。日本とイギリスを相対化する女神像は明治35年(1902)の日英同盟締結時に諷刺漫画家の北澤楽天(1876-1955)により「やまとひめ」として創作され〔図2〕、恐らくこの図像が初出と思われるが『時事新報』紙上で発表された図像は、タバコのポスターや着物柄など商業デザインにも応用された。『時事新報』関連の「やまとひめ」については菅野洋人氏による論考(注2)をはじめとして東田雅博氏(注3)、遊佐徹氏(注4)など先行研究が複数ある。2.日本の女神図像の系譜─天照大神、倭姫命、神功皇后など現代において古代神話の女神像は垂髪に白衣を着用し勾玉の飾りをつけた女性像として思い浮かべることが多い。その起源をたどるならば、古くは神像、例えば松尾大社《女神座像》(木造彩色、平安時代)や薬師寺八幡神社《神功皇后座像》および《仲津姫命座像》(いずれも木造彩色、平安時代)などが挙げられる。表着・背子・裳の唐衣を纏った垂髪のふくよかな女性像で表されており、女神の髪型や衣装、体型などの容貌は高貴な婦人の姿に準えて類型化されていたと考えられる。女神の中でも特に天照大神図像の変遷については、鳥羽重宏氏の論考(注5)が最も詳しい。記紀において女体と形容された後、平安時代に制作された熊野大社《天照大神坐像》では女体として頭頂に髻を取って垂髪した姿で彫刻される一方、男体説も― 325 ―― 325 ―

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