たといえる。冒頭で述べたように西欧には国家を表象する女神像が古くから存在しており、女性像と国家意識の関係についてはマリナ・ウォーナー氏の論考に詳しく(注21)、各論としてはフランスのマリアンヌ(注22)、そしてイギリスのブリタニア(注23)についてもその像容の変遷について研究が進展している。特に二女神を併置する図像としてはドイツロマン主義、ナザレ派のヨハン・フリードリヒ・オーヴァーベックによる絵画《イタリアとゲルマニア》(1828年)〔図5〕があり、大原まゆみ氏により「友情図」としての二女性像として分析されている(注24)。このような「二人の仲睦まじい女性像」、いわゆる「シスターフッド」の図像は同盟関係を示すには適していた。日英博覧会の2年前の1908年にロンドンの同じ会場で開催された仏英博覧会では両国の女神像を併置するイメージが利用され、公式アイコンとしてだけではなく絵葉書などにも表れた〔図6〕。日英博覧会における日本の自国イメージの演出は、植民地政策を推し進め帝国化していった西欧諸国に並ぶために女神像に仮託されたと言えるだろう。ジャーナリストの長谷川如是閑は、明治43年(1910)の日英博覧会に際して取材のため渡英し、ロンドンで人間が演じるブリタニアのパレードを目にした。「年に一度オリムピアで催すミリタリー・トーナメントで、全英帝国の軍隊行列をやる際に、その中央で車の上にこのブリタニアの女神を立たせて山車のように曳いて行く、そのブリタニアにはいつも若い女優がなるに定っている。」(注25)長谷川が目にしたのは大衆に支持される帝国の象徴としてのブリタニアであり、同盟関係を結んだ日本人にとっても親しみの持てる存在であった。先述のように倭姫命も活人画として演じられたことを踏まえるならば、国家意識の擬人化は、公的なものというよりも寧ろ民衆の娯楽のなかに身近に存在する必要があった。5.おわりに以上考察したように、近代日本のナショナル・アイデンティティを表象するために必要とされた擬人像は、神道美術の歴史のなかで天照大神の図像の変化とともに類型化された女神像としての容貌をそなえて近代に到達した。その変容の過程で天照大神は御杖代としての倭姫命の身体を借りて出現しており、近代以降に国家表象として創作された「やまとひめ」には明確な由来があると言える。外交戦略として同盟国との友好関係を示す二女神像が要請されると、西欧の「友情図」に近い、親密な二女神像― 329 ―― 329 ―
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