鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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㉜ 坂東三十三観音信仰に関する仏教美術の基礎的研究─中世下野を中心に─(1)17番 出流山満願寺研 究 者:文星芸術大学 美術学部 准教授  大 澤 慶 子はじめに坂東三十三所観音札所〔図1〕の成立については、歴史学、宗教学等の分野から、鎌倉幕府の関与が指摘されているが(注1)、その形成過程等については未だ不明な点が多い。そうした中、福島県東白川郡の八槻都々古別神社の十一面観音菩薩立像は、台座背面の墨書銘に、僧成弁が三十三観音霊地を修行中、天福二年(1234)に「八溝山観音堂上院」で造立した旨を記し、当該札所成立時期を示す最古の資料として極めて重要である(注2)。「八溝山観音堂上院」は八溝山中腹の21番札所八溝山日輪寺(茨城・大子町)とみられている。八溝山は福島・茨城・栃木の3県にまたがり、山頂の福島側には八溝嶺神社、中腹の常陸側には日輪寺、山系麓に都々古別三社(棚倉・馬場都々古別神社〔上宮〕、八槻・都々古別神社〔中宮〕、茨城大子町・下野宮近津神社〔下宮〕)をはじめ多くの社寺があり、古くから修験信仰の山として知られる(注3)。都々古別神社の十一面観音立像の作者は、銘文によると「僧成弁」で、その造形から専門の仏師ではないとみられている。坂東三十三所観音札所20番栃木・西明寺から21番茨城・日輪寺に向かう順路の途中、八溝山南麓に位置する栃木県那須烏山市の松倉山観音堂にも、専門の仏師の手によるものとは思われない菩薩立像が五軀(県指定)安置され、同市太平寺の観音菩薩立像(県指定)とともにその存在が注目された。本研究では、札所の周辺寺院をふくめ、あらためて下野を中心とした札所の観音の図像や作風を確認し、観音信仰の様相について若干の考察を加えてみたい。1 三十三観音札所にみる観音諸像栃木県栃木市に所在する満願寺は、天平神護元年(765)勝道上人開基と伝える。真言宗智山派の寺院で、宝暦15年(1765)の建立と推察される五間四方、向拝三間つきの入母屋造り銅板葺きの本堂(栃木県指定文化財)須弥壇上には以下の像が安置される。以下に確認する。厨子内に安置される本尊千手観音菩薩立像は秘仏で、2014年午年の御開帳時の目視― 342 ―― 342 ―

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