鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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蓮華手とみられる。光背は浮彫してあらわす。脇手に添うように円形に、その後いったんすぼまり宝珠形にあらわす。手の多くを別の石材でつくり、枘で挿し込む念の入った技法で、その他岩から彫出したり塑土で盛り上げる技法も併用する(注10)。台座には穴が穿たれ、別製の蓮弁を吹いていたと推測されている。卵形の頭部、細身のプロポーション、左右の脚の膝上あたりから裾までU字状に襞をあらわす点など、8世紀末から9世紀初頭にかけての特徴を示すことは注意される(注11)。第2龕は寺伝では釈迦三尊という。中尊は、螺髪。右手を胸前にあげ、左手を脚部におき、ともに五指を伸ばす。裙を着け衲衣を偏袒右肩にまとい、右脚上に蓮華座上に結跏趺坐する。二重円相光。左脇侍は右手をあげ、左手を垂下する菩薩形立像である。髻を結い、髪束をあらわし、天冠台をあらわす。条帛をかけ、天衣の左肩から懸る分は大腿部をわたり、右肘にかけ外に垂らす。右肩から懸る部分は膝上をとおり、左肘にいったんかかったあと手でつまみ先を下に垂らす。一段折返しの裙をつける。胸飾、臂釧をつける。右脇侍は衲衣をまとい、合掌する僧形立像である。第3龕中尊は寺伝では薬師三尊像という。全体に摩耗が著しいため像容の詳細が確認できない箇所も多い。中尊は偏袒右肩で右手を挙げるが手首先は欠損する。両脇侍は髻を結い、条帛、天衣、裙をつけ中尊側の手をあげ外側の手を垂下する。体に比して大きめの頭部に下膨れの頬、上唇の稜線、高い膝などは仁和4年(888)の仁和寺阿弥陀三尊像や、10世紀とみられる甲斐・大善寺の薬師如来像などに通じる。第4龕は寺伝では阿弥陀三尊という。中尊は、螺髪、右手をあげ左手を脚部に置く。両手とも指を捻じる。裙、覆肩衣、衲衣を着け、右脚上に結跏趺坐し蓮華座に坐す。左脇侍は髻を結い、頭冠をつけ条帛をかけ、折返し付の裙を着ける。右手をあげ、左手を垂下する。天衣は左肩から腹部下をとおり、右肘に懸り外に垂らし、右肩から懸る分は膝上をわたり左肘にかかって外に垂らす。右脇侍は合掌手の僧形像で裙と衲衣をまとう。膨らんだ腹部にかかる襞や脚部のY字状の襞は平安時代前期10世紀の特色を示す。なお、2龕と4龕にみられるような僧形像と菩薩の組み合わせについては、中国唐時代に流行した地蔵と観音の組み合わせの「放光菩薩」で、安産祈願、水難救済の功のあることが指摘されており(注12)、本像の造像背景を考える上で興味深い。(4)20番 独鈷山西明寺益子町大字益子に位置する真言宗豊山派の寺院。寺伝によれば天平9年(737)行基が開創と伝え、中世に紀氏(のちの益子氏)の庇護を受けた。本尊の木造十一面観― 344 ―― 344 ―

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