鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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音立像は環孔材(サクラか)の一木造りで像高159.0cm。両肩以下と足先は別材でつくる(注13)。このほか、鎌倉時代の千手観音、正観音、馬頭観音、准胝観音、十一面観音、勢至菩薩の各立像と千手観音菩薩坐像、毘沙門天立像、延命観自在菩薩、室町時代の如意輪観音菩薩坐像の計10体が安置される。これらの造像は札所成立の後の、寺の整備されていく様相を示すものとみられる。(5)21番 八溝山日輪寺茨城県久慈郡大子町の天台宗寺院で、天武天皇2年(673)役行者が開創、大同2年(807)弘法大師空海が自刻の十一面観音を安置したと伝え、仁寿3年(853)円仁来朝により天台宗寺院となったという。本尊は像高約2尺の十一面観音菩薩立像。未実査であるが、遠目からの実見によると長谷寺式とみられ、中世に㴑る可能性もあると思われた。なお、福島県白河郡棚倉町に位置する八槻都々古別神社伝来の「三十三所観音」の最古銘のある十一面観音菩薩立像は、同銘の「八溝山観音堂」は日輪寺を指すとされる(注14)。カツラ材の一材から彫成する。素地。像高72.4cm。八槻都々古別神社には、そのほか、平安時代後期の銅造鍍金、像高19.0cmの十一面観音菩薩坐像、鎌倉~室町時代にかけての十一面観音懸仏が三面あり、十一面観音菩薩信仰の様相が知られる。(6)22番 妙福山佐竹寺茨城県常陸太田市の真言宗豊山派の寺で、正暦年間(990~995)花山法王の勅願により元密上人が創建、本尊は法王が護持した十一面観音菩薩立像と伝える。保延6年(1140)常陸地方を支配した佐竹氏が寺領を寄進、以後累代の祈願寺となった。本尊は十一面観音菩薩立像。実見できず年代不詳。(7)23番 佐白山正福寺笠間市笠間真言宗寺院。縁起では白雉2年(651)、土地の狩人粒浦氏が霊木で千手観音像を刻ませ安置したという。本尊は鎌倉時代の千手観音菩薩坐像であるが、「坂東札所御本尊御真影」によると立像の千手であることから、本尊の胎内仏である平安時代後期の像高12.7cmの銅造千手観音菩薩立像(重文)(注15)が札所成立前からの本尊であったと推察される。(8)24番 雨引山楽法寺茨城県桜川市の真言宗豊山派の寺院。縁起によると用明天皇2年(587)、中国から来日した法輪独守居士が棒持した延命観音を安置したのが始まりという。本尊の観音― 345 ―― 345 ―

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