鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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る現在唯一の史料は、『看聞日記』永享10年(1438)11月11日条、「秋夜長物語絵二巻、自内裏被下、一覧」の記述のみであるが、ここに登場する絵巻は、永青文庫本と巻数が同じであり、永青文庫本の祖本に当たる可能性も考えられよう。永青文庫本の最も詳細な研究を行った大倉隆二氏によって、本絵巻は絵19段、詞20段と紹介されていたが(注5)、今回作品を実見・調査した結果、上巻に錯簡が確認でき、絵・詞ともに20段であることが判明した。永青文庫本の下巻第八段は詞書のみとなっているが、これに対応する絵が、上巻第一段に挿入されている。上巻第一段の絵は4紙で構成されているが、後半の2紙は、直前の絵と霞の形状や建物などが連続していない〔図1〕。この場面には、複数の僧侶たちが朱塗の社殿に向かって礼拝する様子が描かれるが、これは、下巻第八段の、三井寺の衆徒が新羅明神に通夜する内容と一致すると考えられる。以上のことから、永青文庫本は絵と詞ともに20段の絵巻であることを確認しておきたい。また、絵については、千野香織氏が指摘するように、上巻第四段の花鳥図屏風の画中画の巧みな描写などから、本絵巻の絵師が、画業を専門としていた人物であることは疑いない(注6)。制作時期については、大倉氏は詞書の書風の検討や、絵に室町時代後期に活躍した絵師土佐光信の影響が見られないことから、15世紀中頃とするが(注7)、15世紀中頃に同様の画風、様式を示す絵巻が確認されず、首肯しがたい。千野氏は、「狩野派でいえば元信以降、土佐派でいえば光茂以降の時代に共通する、ある時代様式とでもいうべきものが感じられる」とし、大永4年(1524)成立の「真如堂縁起絵巻」(京都・真正極楽寺)や、16世紀成立の「酒飯論絵巻」(文化庁蔵)に通じる一種のアクの強さを指摘し、16世紀の絵巻とするが(注8)、筆者もこれに賛同する。2.永青文庫本へのメット本の影響両絵巻の内容および、絵の対照関係については〔表1〕を参照されたい。絵と詞の段数は両絵巻で同じであるが、詞書の段の区切りは相違し、絵も採用される場面が一部異なる。これまで、永青文庫本へのメット本の影響について論じた研究はない。大倉氏は、永青文庫本は「独自の段落設定や絵師の自由な表現が横溢していると認められる箇所があるから、オリジナルな作と考えられる」と述べ、永青文庫本が模写・転写の絵巻ではないとする(注9)。確かに、永青文庫本の絵には写し崩れと思われる箇所は見受けられず、さらに、画面全体の鮮烈な色彩、アクの強い人物表現、斜め構図の多用― 357 ―― 357 ―

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