鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
371/643

さて、永青文庫がメット本の影響を受けながらも、場面選択や画面構成を大きく異にする箇所があることは、同じ『秋夜長物語』という稚児物語を題材としながら、両絵巻の制作目的が異なっていたことを推測させる。そこで、次章では、メット本、永青文庫本それぞれの図様の相違に着目し、そこから浮かび上がるメット本の特徴を手掛かりに、メット本の祖本の制作背景について考察を試みたい。3.メット本の特徴的な表現本章では、メット本と永青文庫本の図様の相違の中でも、特筆されると思われる二点の事項について、詳しく見ていきたい。第一点は、メット本と永青文庫本ともに上巻第四段〔図8、9〕の図様の相違である。詞書によれば、梅若のことが忘れられない桂海は、詩歌や酒宴に溺れる日々を過ごすようなり、宴の場に侍童を呼んで、梅若への仲介を頼んだ。永青文庫本では、花鳥図屏風、水墨の障壁画が配された豪奢な部屋での酒宴を描き、画面右に、侍童に和歌を記した文を手渡す桂海がおり、詞書に沿った絵画化がなされていると言えよう。一方メット本は、酒宴の様子を一切描かず、桂海は庵室のような建物の中に一人おり、その縁に侍童が腰かけているという図様で(注11)、詞書とはやや距離がある。桂海は、畳の上にゆったりと座り、左手に紙、右手には筆を持つ〔図10〕。詞書によれば、桂海は侍童に梅若へ文を書くように勧められるも、良い言葉が思い浮かばず、和歌のみを記したとされ、ここでの桂海の姿は、歌を案じているものと考えられる。この桂海の姿は、「兼房夢想系」と称される「柿本人麻呂像」に通じることが指摘できる。「兼房夢想系」の13世紀成立「柿本人麻呂像」(東京国立博物館)〔図11〕と比較してみると、筆の持ち方や、顔を向ける方向などに違いは認められるものの、ひざを崩して座り、右手に筆、左手に紙を持ち、傍らに硯が置かれる図様は、明らかに「人麻呂像」を意識したものと言えよう。なぜ本場面の桂海の図像に、「人麻呂像」のイメージが用いられたのであろうか。ここで、実在の噡西という人物について、確認しておきたい(注12)。噡西は、平安時代後期に活躍した僧で、比叡山で修学したのち、東山の雲居寺に入った。桂海と名乗ったことは史料上確認できず、『秋夜長物語』における創作の可能性がある。声明・説法にすぐれ、『元亨釈書』には檀那院流四世とあり、修学の中心は唱導であったと推測される。雲居寺では、『中右記』の著者藤原宗忠をはじめとし、多くの貴族の帰依を受けた。また、噡西はすぐれた歌人でもあり、同時代の歌人藤原基俊ほか、様々な歌人との親交が知られ、『金葉集』に1首、『千載集』に2首、『新古今集』に― 359 ―― 359 ―

元のページ  ../index.html#371

このブックを見る