鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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1首と、数は少ないものの勅撰集にも入集している。以上の噡西の事績を踏まえると、桂海に人麻呂のイメージが用いられたのは、単なる図像の借用ではなく、歌人としての噡西を称揚する目的があったと推測される。第二点は、旅をする桂海の姿である。メット本では、上巻の第一段、第三段、第五段に、旅装の桂海を小さく描くが、この桂海の姿を描かずとも、画面上の物語の展開には特段の支障はないと思われる。事実、永青文庫本には、これらの桂海の図像は継承されておらず、メット本で繰り返し旅をする桂海の姿を描いたことには、制作者の何らかの意図が込められていると考えられる。旅をする僧侶を描いた絵巻として著名であるのは、「西行物語絵巻」であろう。鎌倉時代末期、後深草天皇に仕えた女房二条は、その懐古録『とはずがたり』の中で、「西行が修行の記といふ絵」を見、その行状を理想のものと思っていたことを記している。13世紀成立の「西行物語絵巻」(徳川美術館/文化庁蔵)では、旅をする西行の姿が、時には風景に溶け込むがごとくに小さく、繰り返し描かれる。『秋夜長物語』は、噡西が梅若の死を契機に発心し、遯世して様々な人々を教化したという内容で締めくくられるが、西行のような、理想的な遯世僧とされた人物のイメージを噡西に与えるために、繰り返し旅をする噡西の姿を描いたのではないだろうか。以上見てきたように、メット本は、歌聖や遯世僧のイメージを噡西に投影し、彼を理想的な僧侶として描出し制作された絵巻と言えよう。では、そのような目的で絵巻を制作したのは一体如何なる人物であったのだろうか。4.メット本の制作背景試論メット本の制作背景を考えるために、本章では絵巻の最終場面、メット本下巻第七段〔図12〕、永青文庫本下巻第九段〔図13〕に着目したい。永青文庫本では、噡西の姿はなく、雪の降りつもった庵室を描き、その中に噡西がいることが暗示されている。空から庵室に向かって紫雲がたなびき、それを指差す人物、手を合わせる人物、平伏する人物などが描かれる。このような紫雲と人物の姿態の組み合わせは、四十八巻本「法然上人絵伝」などの往生の場面で確認でき、永青文庫本は、詞着には記されない噡西の往生を描いていると推測される。一方メット本では、前半に隠棲した噡西のもとを三井寺の衆徒たちが訪ねる場面、後半に噡西が雲居寺で行った迎講の様子を描く(注13)。迎講とは、野外で来迎の様子を演じる法会で、来迎会や練り供養とも呼ばれる。平安時代末期成立の『後拾遺往生伝』中巻の安倍俊清の項では、「時側聞音楽。其儀如雲居寺迎講。雲居寺瞻西上人― 360 ―― 360 ―

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