鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
379/643

㉞ 国立ゴブラン製作所制作、連作「フランスの諸地域と諸都市」─タピスリーによるフランス国土の表象─研 究 者:東京藝術大学大学院 専門研究員  岡 坂 桜 子はじめに17世紀半ばに国王直属のタピスリー製造所として創設されたゴブラン製作所は、国王の威信や王政の正当性を誇示するためのタピスリー製作を第一義としてきたが、大革命(1789-1799)によって旧体制が崩壊すると、次第にかつての権威を失い、「過去の下絵の焼き直し」や「絵画の模倣」といったゴブラン製タピスリーに対する批判の声は19世紀を通じて高まっていた(注1)。王政と共和制の間の行き来を幾度も繰り返したのち、1870年にようやく第三共和政(1870-1940)が樹立されると、ゴブランは、王権称揚に代わる主題の模索に加え、世紀末から盛んになる産業・装飾芸術振興運動を背景にタピスリー芸術が装飾芸術という枠組みの中に置き直されるという潮流の中で、タピスリー独自の造形のあり方を問い直さなければならない状況に直面していた。こうした中、1908年に国立ゴブラン製作所所長に就任した美術批評家ギュスターヴ・ジェフロワ(1855-1926 / 在1908-1926)は、同時代の芸術家に下絵制作の協力を求め、18年にわたる在任期間中に、総計100点を超えるタピスリー作品を製作することで、ゴブランの活性化と刷新を試みたのだった(注2)。「ジェフロワ時代のゴブラン製作所」というトピックは、これまで詳細かつ包括的に考察されたことがなく、ジェフロワ研究およびフランス近代タピスリー研究、両領域の重大な欠落点として残されたままであった(注3)。そこで本研究では、ジェフロワ時代のゴブランにおいて中核的な企画であったタピスリー連作「フランスの諸地域と諸都市」を考察し、先行研究においては未着手であった、この時代のゴブランの活動の歴史的意義の解明を目指した。当該連作は、これまでその存在がわずかに知られているに過ぎず、加えて、不明瞭な企画意図や造形の特異性ゆえに、時に「時代錯誤な」試みとして看過されてきた(注4)。主として印象派以降のフランス絵画にみるモダニスム史観に照らして下されたこのような消極的な評価を問い直し、ゴブラン製作所の伝統的な役割と機能に立ち返って、本連作の歴史的意義を明らかにすることが、本研究の主眼となる。1.連作の概要印象派をはじめとする第三共和政前半期の「前衛」芸術家を広く擁護してきたジェ― 367 ―― 367 ―

元のページ  ../index.html#379

このブックを見る