③ムッジャ・ヴェッキア、サンタ・マリア・アッスンタ聖堂の説教壇研究研 究 者:日本学術振興会 特別研究員SPD(早稲田大学文学学術院)はじめに─問題の所在イタリアは北東部、バルカン半島との境界域に位置する入り江の町ムッジャは、かつての町の中心―ムッジャ・ヴェッキア―を、海を見下ろす丘の上に構えていた。ムッジャ・ヴェッキアの中心に位置するサンタ・マリア・アッスンタ聖堂の創建は9世紀頃であったと考えられており、何度か改修工事を経たようであるが、最後の大掛かりな改修は13世紀半ば頃と考えられている(注1)。論者は、ムッジャで初めてポデスタが選出されたのが1256年であること、1263年には、ポデスタの館が「再装飾」されたという記録に着目し、1256年のポデスタ選出に伴って、町の中心が丘の上から現在の入り江地区へと移転したと想定し、したがって本聖堂の改修工事の下限も1256年であったと考えている(注2)。本稿で扱うのは、本聖堂に現存する説教壇の設置時期の推定と機能の問題である。聖堂は3つの身廊から構成されており、そこには各身廊をつなぐ石材の組み合わせによる内陣障壁と、中央身廊の内陣障壁と一部連結した説教壇がある〔図1〕。この説教壇は2つの構造体からなっている。1つは、内陣障壁よりも外側に設置された演壇状のものである〔図2〕。もう1つは、内陣障壁よりも内側に設置された、角柱に支えられた単独の書見台状のものである〔図3〕。この2つの構造体は、演壇状説教壇に上るために、内陣障壁の内側から外側に向かって伸びる5段の階段によって接続されている。すなわち、階段の3段目は幅が大きく取られ、単独書見台状の説教壇の足場としても機能しているのである〔図4〕。演壇状の説教壇は、柱頭を頂く4本の柱に底部を支えられた円筒状の形状をしており、南西方向を向く書見台を備えている。この書見台は外側を向く2つの人頭彫刻に両脇を挟まれており、書見台外側中央部分には緑で着彩された5枚の葉の装飾がある(注3)。底部を支える4本の柱と演壇を囲む胸壁には茶色の着彩痕が残っており、全体の高さは約300cmである。単独書見台状の説教壇は真っ直ぐ東側を向いており、書見台を支える1本の角柱は柱頭を頂き、全体の高さは約150cmである。こちらには着彩痕は残っていない。いずれも制作者の記録は残っていない。複数の方向を向く書見台を持つ説教壇の例はイタリア全土に見られるが(注4)、ムッジャ・ヴェッキアの説教壇のように、構造上独立している2つの説教壇が階段に― 26 ―― 26 ―桑 原 夏 子
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