備える《パリ万歳》とは対照的に、バロック的な表現が目指された《ブルゴーニュ》には、大型のタピスリー芸術にふさわしい表現を模索するジェフロワの中に、あくまでも絵画をその範としようとする感覚が窺える。それは、本稿冒頭で述べた「絵画の模倣」という批判とは相反する考え方のように思われるが、ゴブランのタピスリーをフランスが誇る大芸術として復活させようとするジェフロワの解決策の一つであると考えられる。過去の巨匠の絵画様式を積極的に取り込み、本連作に様式の多様性をもたらそうとするジェフロワの意図は、ラショに基づく《トゥールーズの栄光》の造形が、19世紀の壁画芸術において独自の地位を築いたピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1824-1898)の様式を彷彿させることからも明らかである。ここでは、画面下部のラテン語銘文「安泰がオクシタニアに眠る」(注13)が示す通り、「トゥールーズ」の女性擬人像とそれを囲む「諸芸術」たちによる戴冠の場面を中心に、中世から存在する地方語、オック語を話す独自の文化圏「オクシタニア」としてのトゥールーズの姿が、牧歌的風景と古代風の人物、フレスコ画のような淡い色調を特徴とするピュヴィスの様式によって描かれている。以上より、本連作では、各地域のアイデンティティーの多様性が、それを描き出す様式の多様性と連動するかたちで表されていることが明らかとなった。3.表現の世俗化─《リムーザン》本連作のうち初期に製作された上述の3点は、各地域の個性や特徴を具体的なイメージで表すにあたって、象徴的なモティーフや寓意像を巧みに組み合わせた、いわば伝統的な図像構成を採用していた。しかしながら興味深いことに、連作が継続される中で、表現の「世俗化」の傾向も観察される。そのようなこの時代のゴブランの方針の変化を、《リムーザン》の製作過程を例にみてみよう。エドモン・タピシエ(1861-1943)が下絵を担当した《リムーザン》〔図6〕は、中世より、金属工芸やリモージュ焼きと呼ばれる磁器生産で発展した地域である。画面手前では、ルネサンス風の色鮮やかな衣装姿の男女が、轆轤を使った壺の成形や絵付けの作業に従事する様子が描かれ、背景には同地の植生を示す栗の木が、また遠方にはリモージュの市街が広がっている。同地の伝統産業を特徴づける職人と風景を中心とする図像構成は、本連作のコンセプトに合致するものであるが、ここで、本作構想の下敷きとなった別の下絵との比較により、ジェフロワ時代のゴブランの方針の変化が明らかとなる。― 370 ―― 370 ―
元のページ ../index.html#382