鹿島美術研究 年報第36号別冊(2019)
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タピシエは、ジェフロワ着任2年前の1906年、リモージュ県庁を飾るタピスリーの下絵制作をゴブランから引き受け、1908年に完成下絵《リムーザンにおける火の諸芸術》〔図7〕を提出したが、ジェフロワ就任後の1909年3月のゴブラン審議会での検討の結果、タピスリー化は見送られた。その議事録には、「やや月並みな表現」という評価のほかに、不採用の理由は明らかにされない(注14)。しかし15年後の1924年、今度はフランス各地をテーマとする連作の一部、という新たな条件下で構想・再提出された《リムーザン》の下絵には、以下の通り、大幅な図案の修正が施された。様々な工芸品が散りばめられたボーダーのデザインは、上部の紋章を除いてほぼ踏襲されているが、中央部分は、神話上の人物を組み合わせた寓意的なイメージから、現実の職人たちの労働場面へと変化している。1908年の下絵では、諸芸術を象徴する白い炎を手にした右端のウェヌスが見守る中、赤い衣のウルカヌスの松明の火を二人のプットーが受け取り、その恩恵がもたらす手工業の豊かさが、豪華に着飾り工芸品を手にする画面左手の女性たちによって表されている。他方、図案変更後の下絵に基づいたタピスリーでは、基本的な構図は踏襲されるが、それぞれの登場人物は、轆轤を回す職人、壺を運ぶ少年、絵付け等の作業に従事する女性へと変化し、ウェヌスおよび玉座の「リモージュ」の擬人像は姿を消して、そこには城を頂く山が配された。姿を消したこの神々の華々しい共演の光景こそまさに、議事録が言う「月並みな表現」を指し、職人たちの勤勉な労働風景への変化、つまり表現の「世俗化」こそ、ジェフロワ時代の新たな方針を示しているのである。《リムーザン》の図案修正に顕著に示されるように、表現の世俗化の傾向は、本連作の造形的特徴の一つである。その土地のアイデンティティーを、伝統的な寓意表現ではなく、地誌的特徴を示す風景とそこに生きる無名の人々によって表現しようとする意図は、本連作3作目の《ブルターニュ》〔図8〕に早くも看取でき、ここでは、入り組む海岸線と丘陵地帯というブルターニュの二つの地理的特徴と、伝統衣装に身を包む人々が列をなす伝統行事「パルドン祭」が中心に描かれている。さらに、スペインとの国境地帯を描いた《ピレネー》〔図9〕のように、フランスの地形的な豊かさと領土の広がりが、純粋な風景画として表されている作例も制作されている。4.国家の姿の同時代的表現─《オーヴェルニュ》、《ケルシー》《ブルターニュ》に描かれたモティーフにみるように、本連作においては、かつてのゴブランが描いてきたフランス国王の姿に代わって、各地の風景と無名の人々、つまり共和制の担い手となる「国民」が主役となった。さらに、本企画が進むに従い、― 371 ―― 371 ―

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